SFCの革命者
限界集落の再生、被災地の復興、 答えのない課題に取り組んで
一ノ瀬 友博
環境情報学部准教授
活気を失う農村の再生を研究し続けて約10年。「撤退の農村計画」という逆転の発想で限界集落の問題に取り組むほか、「気仙沼復興プロジェクト」も展開する一ノ瀬友博准教授。今、現場で何が求められ、何が必要とされているのか、話を聞いた。
農村の過疎化がこのまま進むと
私はこの10年、過疎化が進む限界集落について研究してきました。元々は農学部の出身で生き物の生態を専門に研究しており、学位をとるまでは狭山丘陵などで鳥の生態を調査していました。その後、ドイツ留学を経て、1999年から兵庫県立大学に所属し、主に淡路島の兵庫県立淡路景観園芸学校で教鞭をとるようになると、淡路島ではため池に生息するトンボを対象に研究するなど、興味の範囲は生き物に関することに留まっていました。しかしこのように農村地域で生き物の研究をするうちに、生き物だけではなく、環境に大きな影響を与える人間の暮らしそのもの、農村のあり方に興味を抱くようになったのです。淡路島にはため池がたくさんあり、日本全国のため池のうち約1割を占めるほどなのですが、私がいた9年ほどの間に、人の手が回らず管理ができずに放置されていくため池がどんどん増えていきました。過疎化が進み、人口が減っていくと、こういった環境保全にも問題が起こってきます。現在、私は国土交通省国土審議会の長期展望委員会に参加しているのですが、そこで2050年の日本の未来予測を公表しています。昨年の統計によると、このままのペースでいけば、現在人が住んでいる地域の約20%が無人になり、さらに約20%の地域は1㎢あたりの人数が10人未満となります。つまり、現在と比べて約40%がほとんど人のいない地域になると予想されています。
撤退の農村計画
共同体による地域の維持管理が困難になった限界集落で暮らすのは、大変なことです。限界集落に残っている方の多くは、その地域に住み続けたいとおっしゃいます。生まれ育った愛着ある土地を離れたくない方が多いのはもちろんですが、移住はしたいが様々な理由から住み続けるしかなく、やむをえずがんばっているという人も少なくありません。地域に入ってお話を聞いていると、活性化に疲れたという声も聞こえてきます。そこで私は無理にがんばるのではなく、ポジティブにギブアップする方法だってあるのではと考えました。その発想で立ち上げたのが「撤退の農村計画」という研究会です。名前がセンセーショナルなため、ずいぶんお叱りを受けたこともありましたが、私たちはがんばるなと言っているわけではありません。一歩引いて中長期的にしっかり持続できる地域を形成する必要があると思っています。具体的には、河川などの水の流れを単位に考える流域居住圏という圏域を設定し、維持が厳しい集落から計画的に撤退し、今後20~30年は維持可能な集落へ移住してもらって再生を図ろうということを提案しています。そして、撤退した場所を自然に戻すのも、単純に放置するのではなく何らかのアクションが必要です。そのため資金や労力が必要になってきますが、そこは下流にある都市部との連携で相互に補完できるような、よい関係が作れないか研究しています。例えば、首都圏にはいくつもの河川が流れ込んでおり、その流域は広範囲に広がっています。水資源をはじめ、様々な自然の恵みにより生活を支えてもらっている分、上流の地域の環境保全にも加わってもらうという考え方です。
気仙沼復興プロジェクト
私の研究室に気仙沼出身の学生(環境情報学部3年清水健佑君)がいるのですが、彼の実家は今回の東日本大震災で大きな被害を受けました。3月11日以降、彼とTwitterでやりとりしているうちに、SFCで「気仙沼復興プロジェクト」を立ち上げることになり、教員と学生が7つほどのチームに分かれてさまざまな活動を行っています。私は「撤退の農村計画」のなかで岩手県もケーススタディとして調査していたので、最も被害の大きかった三陸海岸一帯の復興がいかに大変か、良く理解しています。例えば、政府で高台移転について話し合われ、費用はすべて国が負担するといったことを議論していますが、本当にすべての集落を移転させるとなると、整備に5~10年はかかるでしょう。そうするとどうなるでしょうか。ただでさえ高齢化して人口が減っているわけです。全部完成した頃には、ほとんど居住希望者がいないという状況にもなりかねません。私たちのチームでは、そんな状況のなか、どうやってコミュニティを再生すればよいのかといった研究に取り組んでいます。都市のインフラの復興計画も扱っていますが、そのような計画は私たち以外にも多くの専門家が議論しています。私たちは、通常の復興計画では議論されないようなテーマや、今目の前で困っている人たちをどうサポートできるのかということを考えています。
具体的な活動について、例えば情報発信をテーマとしたチームがあります。被災地の方々の様子は現在、マスコミからどんどん情報が流れてきています。しかし、時間が経つと次第に情報量も減り、そのうち首都圏で話題になることも減っていくでしょう。そのとき、被災地の方々が主体的に情報を発信していくためにはどうすればいいか。おそらく、役立つのはTwitterやFacebookといったソーシャルメディアでしょう。そのため、このチームでは被災地でTwitter講習会を開くなど、情報に対するハードルが低くなるような活動をしています。また、私たちのプロジェクトのほかにも、SFCには東日本大震災後さまざまな社会貢献プロジェクトが生まれ、それらのプロジェクト同士でコラボレートする機会が多くあります。例えば政策・メディア研究科の金子郁容教授が取り組んでいる遠隔医療システムへの取り組み。被災地では現在、医師不足が深刻な問題になっているため、遠隔医療のシステム導入が待たれています。金子教授のプロジェクトでその準備が始まっているのですが、システム導入後、その使い方などをサポートすることが必要になってきます。そこで、私たちのプロジェクトに加わっている看護医療学部の学生がサポートとして協働できないかと検討しています。
SFCだからこそできること
教員同士の垣根が低く、情報交換しやすい環境が整っているのは、SFCの最大の魅力だと思います。私自身がその恩恵を受けたもののひとつに、長崎県と慶應義塾の協定に基づいたプロジェクトがあります。これは長崎県の市町村の地域づくりをSFCの学生と教員が支援するプロジェクトです。年に何回か学生と教員が実際に長崎の現地へ赴き、フィールドワークをしながら地域の問題を発見し、政策を立案する過程を学ぶ「スタディー・ツアー」を行っています。公共政策、観光、経営学、都市計画を専門とする教員などと一緒に取り組んでいるので、私の専門外である分野の見地から農村地域を見た意見などを聞き、ずいぶんと勉強になっています。要するに、私が農学の見地からさまざまな提案をするのですが、経営学的にみてどこに欠点があるかなどについて指摘してくれるわけです。このように、教員がお互いの得意な分野の知識を出し合って考えていくということに、非常に高い将来性を感じました。
自分で考え、調べ、発表する
気仙沼復興プロジェクトはグループワークで行っていますが、私の研究室は個人研究が基本的なスタイルです。SFCの学生は、傾向としてグループワークが得意でディスカッションも活発です。そして、プレゼンテーションも上手い。しかし、個人の活動になると力を発揮できていない学生が少なくないように思います。そのため、私は個人研究をベースに指導しており、学生たちには自分でテーマを探し、自分ひとりで調べて自分ひとりで発表できるような能力を身につけてほしいと言っています。また、高校まではハッキリとした答えがあるものを学んできたためか、答えがないような課題になると困惑してしまう学生がたくさんいます。そういう課題に対してどう取り組むか。これは基本的なことですが、自分で資料を調べるとか専門家の話を聞きに行くということが非常に大事になります。さらに、そういった問題を探し出す力も大事です。世の中は問題だらけですし、学生はそういう問題を探す時間も研究する時間もたっぷりあるわけです。ですから、単位がほしいからというのではなく、本当に自分が問題だと思うことに自由にアプローチし、本気で取り組んでほしいと思います。その経験はきっと、社会に出たときに役立つことでしょう。
一ノ瀬友博(イチノセ トモヒロ)
1992年、東京大学農学部卒業。94年、東京大学大学院農学生命科学博士課程修了・97年に博士(農学)取得。96年にはミュンヘン工科大学農学・園芸学部留学。日本学術振興会特別研究員、兵庫県立大学自然・環境科学研究所准教授、マンチェスター大学計画・景観学部客員研究員、コペンハーゲン大学森林・景観計画研究センター客員研究員などを経て08年より慶應義塾大学環境情報学部准教授就任、現在に至る。国土審議会政策部会専門委員(国土交通省)、農村計画学会、撤退の農村計画研究会(発起人)など、各種委員会や研究会に所属。現在は主に農村計画学、景観生態学に携わる。主な著書:『社会イノベータへの招待「変化をつくる」人になる』(共著)慶應義塾大学出版会、『農村イノベーション 発展にむけた撤退の農村計画というアプローチ』イマジン出版ほか。
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(掲載日:2011/09/09)
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