MENU
SFCの革命者(アーカイブ)
2011.03.03

今、医療界で求められる コミュニケーション学

SFCの革命者

今、医療界で求められる コミュニケーション学


杉本 なおみ
看護医療学部教授

子どもの頃の闘病経験を乗り越え医療とは無関係の学問を志した一人の研究者が四半世紀を経て医療現場に戻ってきた。外国人看護師候補者受入支援と救急現場のコミュニケーション分析という2つのプロジェクトに携わる杉本なおみ教授。医療コミュニケーション学の研究に至る経緯や、現在の研究活動について話を聞いた。

できるだけ遠いところへ

SFCの革命者 杉本なおみ教授私には、2歳から12歳までの10年間、原因不明の病気に苦しんだ経験があります。当時の医療技術では正確な診断が難しかったために、病院を転々とする中で辛い思いもしました。麻酔がうまく醒めずに怖かったこと、検査のために生卵を一気に10個も飲まなければならなかったこと、「子どもは薬のことなど知らなくていい」と薬局で叱られたこと、研修医が23回も採血を失敗した揚げ句に私のベッドに突っ伏して泣いたこと…。
それでも私がいわゆる「病院嫌い」にならなかったのは、最後に慶應義塾大学病院に辿り着き、信頼できる医療者と出会えたからだと思います。「同じ病気で亡くなった子ども達の分も、今同じ病気と闘っている子ども達のためにも、ありとあらゆることに挑戦しなさい」という主治医の言葉を心の支えに、その後の人生における数々の試練を乗り越えました。
病気が完治した後、医療とはできるだけ関係のない場所へ行こうと走り始めた私が目指したのは、対人コミュニケーション研究最先端の地であるイリノイ大学でした。日本の大学で学び始めた異文化コミュニケーション学の授業で、その理論的背景や研究法に関する説明がないことを物足りなく感じた私は、それならいっそ本場で勉強したいと、3年生の時に国際ロータリー財団奨学金を得て米国に渡ります。7年間の留学生活は、病弱だった過去などすっかり忘れるほど、刺激的で充実したものでした。

「向き合って乗り越える」という選択

SFCの革命者 杉本なおみ教授無事学位を取得し、日本に戻って5年ほど経った頃、湘南藤沢キャンパス(SFC)に開設予定の看護医療学部で教えないかと誘われました。自分の研究者としてのキャリアを考えると、正直なところ最初はあまり乗り気になれませんでした。
「日米の謝罪様式の違い」で学位論文を書いた私は、その後の一連の研究が認められ、米国で著書を出版するに至っていました。骨身を削って築いたその業績を打ち棄てて自分の専門分野以外の学部に移るのは、研究者としてゼロからの再スタートを意味します。それは気の遠くなるほど無謀な賭けに思えました。
しかし最終的に私の背中を押したのは、命拾いの恩返しがしたいという願いでした。慶應義塾大学の看護医療学部に移るということは、私にとって「看護学部という未知の世界に移る」と同時に「慶應という懐かしい場所に戻る」ことでもありました。
SFCの革命者 杉本なおみ教授「看護師は自らを看護の道具とする」という看護学の考え方が、私はとても好きです。私は看護師ではないけれども、患者としての経験を持つ自分を、医療コミュニケーション教育の道具として使ってみようと思いました。医療から遠ざかることで過去から逃れようとしていた私には、なんと過去と向き合って乗り越えるという未来が用意されていたのです。
こうして過去と対峙して邂逅することを選んだ背景には、それまでの時の積み重ねもありました。手術から20年以上経っていたからこそ、生々しい痛みを伴うことなく当時を思い出すことができました。また、コミュニケーション学を学び始めて15年以上経っていたからこそ、単なる元患者ではなく、学問的な裏付けを持つ専門家として自らの体験を語れるようになっていました。

期待と現実のギャップ

SFCの革命者 杉本なおみ教授医療資格を持たない私が、コミュニケーション学の博士号だけで医療系学部の専任教員となったのは、日本で最初の例ではないかと言われています。国内外の研究者からは「看護学部に所属すれば、外部の人間には得られないような臨床現場でのデータを使った研究ができる」と期待と羨望の混ざった祝福を受けました。しかし、希望に満ちて医療界に飛び込んだ私が目にしたのは、信じられない光景でした。
当時の医療現場では、すでにコミュニケーションの重要性が認識され、さまざまな教育が行われていましたが、その大半は内容も方法も適切ではありませんでした。コミュニケーション学は、実験や調査、観察の結果に基づき、よりよいコミュニケーションのあり方を模索する社会科学の一領域です。ところが、そのような学問体系があることを知らない人達が、根拠のない精神論や表面的なテクニックを説き、医療者を不必要に萎縮させている姿に驚きました。これではいくら私が正しいことを教えようとしても、このような人達と同一視されて、本来指導すべき相手には近付けませんでした。
もう一つの驚きは、看護学部の専任教員だからといって、そう簡単に臨床現場でデータが得られるわけではないことでした。現代の医療を取り巻く状況を考えると、医療職でない私が臨床現場に入ることに対する抵抗が強いのは、いわば当然のことなのでしょうが、着任前の私にはその現実が見えていませんでした。

看護と異文化コミュニケーション

SFCの革命者 杉本なおみ教授こうして、命拾いの恩返しをしたいという願いとは裏腹に、何一つ医療者の役に立つことができていないと感じ始めていた私にとって、最初の転機は総合政策学部から訪れました。日・尼経済連携協定(EPA)発効に伴うインドネシア人看護師の来日を受け、2009年にマレー・インドネシア語研究室の野村亨教授と「外国人医療職との協働に向けた異文化受容能力開発プロジェクト」を発足させました。外国人看護師候補者の支援団体は数多くありますが、私達のプロジェクトの特色は、受入側の日本人職員を支援することです。日本の一般的な看護職は、意外と文化的背景の異なる人達との協働に慣れていません。今まで、外国人患者に接したことはあっても、外国人の級友や上司・部下を持った経験は皆無に等しいのですから、それは無理もないことです。しかしそのために異文化摩擦が生じたら、これは日本人側にとっても大きなストレスとなります。このような事態を未然に防ぐために、日本人職員を対象に異文化受容研修を実施し、問題発生時には助言や仲裁を行っています。

救急医療とコミュニケーション教育

SFCの革命者 杉本なおみ教授この最初の転機とほぼ同じ頃、次の転機が医学部から訪れました。関根和彦助教と知り合ったことを契機に、救急医学教室の堀進悟教授の発案により、救急医療のコミュニケーションに関する共同研究が始まりました。月に数回、救急外来での参与観察を続ける中で、医療者のみならず患者自身も適切なコミュニケーション能力を身につけることの必要性を感じるようになりました。将来的には、義務教育で「患者に必要なコミュニケーション能力」を教える授業を提案したいと考えています。また、外来観察と平行して、救急隊員と救急医の会話の分析を行っています。この研究を通じては、救急医療の置かれた状況を理解すると同時に、救急救命士養成課程にコミュニケーション教育を導入すれば、患者・救急隊員・救急医すべてにとってよりよい医療が実現すると考えるようになりました。


命拾いの恩返し

SFCの革命者 杉本なおみ教授このように「慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスに位置する看護医療学部」で教育・研究に携わる私は非常に恵まれていると思っています。多彩な同僚との対話から生まれる斬新な発想こそ総合大学で研究を行う醍醐味です。また、海外在住経験者が学生の30%近くを占める看護医療学部には、文化的背景の異なる人達と臆することなく交流する気風があり、ここ湘南藤沢キャンパスで、確実に新しい世代の看護職が育っていることをとても誇らしく感じます。縁あって慶應に生かされた私が、自らを教育や研究の道具とすることで、学生や教員と化学反応を引き起こし、医療の未来を少しでも明るく照らすことができればと願っています。そのとき初めて、私の医療者への恩返しが完了すると思っています。


杉本なおみ(スギモト ナオミ) 

SUGIMOTO, Naomi


1988年、国際基督教大学教養学部語学科卒業(異文化コミュニケーション学)1989年、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校スピーチ・コミュニケーション学科(現コミュニケーション学科)修士課程修了(対人コミュニケーション学)。1994年、同博士課程修了(対人コミュニケーション学・異文化コミュニケーション学・コミュニケーション教育学:Ph.D.in SpeechCommunication)。フェリス女学院大学文学部助教授を経て、2001年、慶應義塾大学看護医療学部助教授に就任。2005年より現職。2009年より看護医療学部・総合政策学部の教員を中心とする「外国人医療職との協働に向けた異文化受容能力開発プロジェクト」の代表を務める。主な著書:「医療者のためのコミュニケーション入門」(精神看護出版)、「医療コミュニケーション・ハンドブック」(中央法規出版)、「看護管理に活かすグループ・コミュニケーションの考え方」(共著)(日本看護協会出版会)「医学教育の理論と実践」(共編)(篠原出版新社)ほか。


→教員ページ

(掲載日:2011/03/03)

→アーカイブ