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SFCの革命者(アーカイブ)
2009.05.22

ゲームプログラミングの先に、 生命の神秘の扉があった。

SFCの革命者

ゲームプログラミングの先に、 生命の神秘の扉があった。


冨田 勝
環境情報学部教授

ゲームプログラミングで稼いだ大学時代

革命者私の学生時代、大学二年生で必修科目だったプログラミングの授業が全く面白くなかったんです。ニュートン法を使って円周率を導き出したりするのですが、答えが分かっていることを、なんでわざわざプログラミングして導き出す意味があるのだろうかと。一方その頃インベーダーゲームが大流行していて、僕はプレイヤーとしてかなり極めました(笑)。当時のインベーダーゲームは、最終ステージをクリアするとまた最初のステージに戻ってしまうのですが、とうとう何時間やっても終わらなくなるほど極めてしまい、もしルールを変えたり難易度を上げたりできたら、もっと面白くなるのになあと考えました。そこでプログラミングをあらためて独力で勉強して、自作ゲームを作るようになり、ブロック崩しなど色々なゲームを作っては、秋葉原へ売りに行っていました。3日間徹夜で作ったゲームが80万円とかで売れたんですよ。大学生としては、いい稼ぎですよね(笑)。

コンピュータプログラミングに感じた限界

革命者アクションゲームを作って稼ぐことにも満足して、次に興味を持ったのが知的なゲームでした。実は僕は中学校時代から将棋の有段者だったということもあり、将棋ゲームを作ろうと思いました。盤を作って、ルールに従って駒を動かして画面に表示するプログラムまでは、すぐにできたのですが、人間と対戦するための思考回路をコンピュータプログラミングするというのは非常にとてつもなく難しいということがわかりました。なぜかというと、将棋は一局面に約30通りの指し手がありますので、3手先を読むということは、30の3乗通りの手を考えなくてはいけないんです。人間は初級者でも勝負どころでは15手ぐらい先まで読むことがあるので、そうすると30の15乗という数になるんです。これを全部のパターンを探し、そこから最良の手が何かという答えをコンピュータに出させようとすると、スーパーコンピュータをもってしても気の遠くなる時間がかかることになります。

人工知能という学問分野との出会い

革命者では実際、人間がそれだけの差し手を全て考えてから最良の手を選んでいるかというとそうではありません。考慮する必要のない手は捨てて無視し、可能性のありそうな手だけを瞬時に選別して最良の手を探すという思考をしているのです。枝刈りをうまくするわけです。その「枝刈り」をコンピュータにさせることを研究するにはどうすればいいのかと当時のゼミの先生に尋ねたところ、それは「人工知能」という分野だよと教えてもらいました。この頃日本では、人工知能を専門にしている研究室はどこにもなく、本気でやるのであればアメリカに行くしかないと言われました。色々と調べた末、ノーベル経済学賞を人工知能(正確には意思決定論)で受賞したサイモン博士のいるカーネギーメロン大学の大学院に進学することにしました。

コンピュータの限界から感じた人間の神秘

革命者
色々な苦労がありましたが(笑)、最終的には修士号と博士号をなんとか取得でき、その後はサイモン博士の助手、その後助教授として主に自動翻訳の研究をしていました。この研究はSFCに移ってからも続けていました。ただ自動翻訳というのは非常に難しい。文法ルールと辞書機能だけでは「直訳」はできたとしても、人間の翻訳家と同じような翻訳ができるかというと、それは不可能です。文章の意味を理解し一般常識等の知識を総動員しないときちんとした翻訳はできません。要するに、コンピュータに翻訳させるということは、人間が持っている知識を全部詰め込まなくてはいけないということになります。これは人間の脳を作るのと同じくらい難しい。人間の脳が簡単にできることでも、コンピュータにはとても難しいのです。一方自然界においては、ひとつの受精卵が細胞分裂を繰り返すことによって、60兆個の細胞からなるヒトという知的システムが半自動的に出来上がる。これって、凄いことですよね。

教員をしながら医学部大学院生に

革命者人工知能を研究すればするほど、細胞分裂をすることにより知能システムができあがるという人間のメカニズムへの興味が大きくなっていきました。ちょうどヒトゲノム解析を世界中の研究者が始めていた頃になるのですが、ヒトゲノムはATGCからなる文字列。自動翻訳も文字列が相手。自分の研究がゲノム解析にも応用できるのではないかと考えたんですね。でもこの分野を研究するには、分子生物学等の知識も必要なので、医学部大学院で勉強してその辺りの知識を身につけたいと思ったんです。ただ僕はSFCにはコンピュータの教員として来ているわけで、そんな僕がバイオの勉強を本格的に始めたら、当分研究業績も出ないだろう。そこで、当時の環境情報学部の相磯秀夫学部長に相談をしたら、「目先の業績にこだわって、自分の陣地に留まっているようではダメだ。SFCの教員は自分で新しい分野を切り開いていく気概が大切なんだ。」と背中を押してくれました。研究者にとっては30代後半というのは非常に大切な時期で、その間の業績ブランクへの不安もあったのですが、すべてこの一言があったからこそ、SFCの教員と医学部大学院の大学院生という二足のわらじを4年間頑張ってみようと決意することができたのです。

共に学び、探す

革命者医学部大学院に入学してから、SFCでの研究会のテーマはバイオになりました。一般的に考えれば、教員がまず勉強してからそれを学生に教えるというのが普通ですが、僕は学生と一緒に勉強・研究しようというスタンス。SFCだからこそできたことなんですよね。ゲノム配列をコンピュータ解析していくと「えーっ」と驚くような生命の謎がたくさん隠されています。未解明で、教科書にも書いてない、世界の誰も知らないことを発見することは、とてもエキサイティングです。それを学生も一緒に体験できることは素晴らしいことだと思います。他にもSFCの良さはあります。SFCには色々な分野の研究会があるので、入学時点で興味がひとつに決まっている必要がありません。SFCに入学したら1年生から研究会に参加してみることが可能だし、途中で興味の対象がシフトしたら別の分野の研究会に移ることもできる。研究していく中でどんどんと知的好奇心が広がって、自分の研究テーマを探すことができる。やる気さえあれば、SFCは理想のキャンパスではないのでしょうか。

冨田 勝(トミタ マサル)
TOMITA, Masaru

慶應義塾大学先端生命科学研究所所長。
1981年、慶應義塾大学工学部数理工学科卒業。1983年、カーネギーメロン大学コンピュータ科学部大学院修士課程修了。1985年、同博士課程修了。カーネギーメロン大学コンピュータ科学部助手、助教授、同大学自動翻訳研究所副所長を経て、SFC設立となる1990年、慶應義塾大学環境情報学部助教授就任。1997年より同教授。2005年〜2007年、環境情報学部学部長。主な受賞歴:米国立科学財団大統領奨励賞/日本IBM科学賞/産学官連携推進会議・科学技術政策担当大臣賞/文部科学大臣表彰科学技術賞など。取得学位:Ph.D(カーネギーメロン大学、情報科学、1985年)、工学博士(京都大学、電気工学、1994年)、医学博士(慶應義塾大学、分子生物学、1998年)

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(掲載日:2009/05/22)

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