本日は、総合政策学部の一般選抜試験の当日でした。受験したみなさんが、これまでの努力の成果を存分に発揮できたであろうことを信じています。お疲れ様でした。
まもなく発行される『KEIO SFC JOURNAL』Vol.25 No.2において、私は「新しい現代中国研究の展開」と題する特集の巻頭言を執筆しました。今回は、そこで論じたことについて、少しお話ししたいと思います。
一九八〇年代以降、中国は「放(改革開放)」の道を歩み、私たち研究者は現地での調査を通じて社会の変容を肌で感じてきました。かつての中国研究には「長期的には透明性が高まる」といったものや、「経済発展の結果、中国政治はいつか民主化へ向かう」という暗黙の前提がありました。しかし現在、その潮流は「収(閉鎖)」へと転じ、情報のブラックボックス化が進んでいます。もはや、私たちが無意識的に共有してきた前提、すなわち「歴史が向かうべき一定の方向性やシナリオ」は揺らいでいるように見えます。私たちは前提そのものを問い直す局面に立たされています。
研究対象がブラックボックス化したとき、これを対象とする研究はどうなるのか。台湾の著名な政治学者である王信賢氏は、台湾の中国研究の現状を踏まえたある論考のなかで、次のように述べています。対象の内部で何が起きているのかという「上流(意思決定の論理)」の分析を諦め、ブラックボックス化が自分たちにどのような結果をもたらすのかという「下流(影響や懸念への対処)」ばかりに目を奪われてしまうリスクが生まれる、と。見えない相手、脅威をもたらす相手に対し、自己防衛的な視点に閉じこもり、その本質的な問いを突き詰めることを回避し、思考停止に陥ってしまう、というのです。
この問題意識は的を射ていると思います。であれば、どうすれば良いのか。情報の壁が厚くなり、相手が意図的に不透明化を図るのならば、私たちもアプローチを変え、見えない「上流」に迫る必要があります。私の論考のなかでは、いま研究者に求められている「対象への認識」と「方法論」の根本的な転換について主張しました。
第一に、「対象への認識」の転換です。それは「国家に観察されながら、国家を観察する」という再帰的(reflexive)な状況の自覚です。現在、研究の現場では、公式文書や統計データ、アーカイブ史料、回顧録へのアクセス性が低下し、インタビューの実施も難易度を増しています。しかし、その「不完全なデータ」や「不自然な沈黙」を、単なる研究上のノイズとして嘆くべきではありません。情報へのアクセスが難しくなっていること自体が、「国家は何を考えているのか」を如実に物語る重要な政治的産物なのです。「見えない」「わからない」という事実そのものを逆手に取り、分析対象へと昇華させる思考の転換が求められています。
第二に、物理的な壁を乗り越えるための「方法論」の転換、すなわち知の融合です。現地調査が難しくなった今、注目されているのが、かつて一九六〇年代、一九七〇年代という冷戦期の先人たちが駆使した、いわば伝統的な文献解読(Lost Art)の復権です。彼らは、限られた公式発表や宣伝のわずかな言葉の変化、行間からその真意を読み解く高度な技術を持っていました。もちろんそれは対象となる地域の歴史や文化、言語に対する深い理解に支えられたものです。現代の私たちは、こうした緻密な人文知と社会科学的分析知に、衛星画像やネット検閲のパターンを機械学習で可視化するAIなど、最新のデジタル技術を掛け合わせることが可能です。伝統的な読解力と最先端のデータサイエンスを融合させることで、断片的な情報のパズルから「上流」に位置する理論や制約条件を、より精度高く推定できるようになります。こうした作業を通じて、政策判断やリスク評価に資する分析枠組みを構築し、意思決定プロセスを描き出す、全く新しい知の構成が生まれつつあるのです。
その一方で、ここで私たちが強く意識しなければならない論点があります。学問とインテリジェンスの違いです。見えない相手の「上流」を探り、公開情報の精密な収集と分析を行うという点では、両者の境界は曖昧になりつつあります。しかし、学問としての地域研究は対象を「理解」することに重点を置くのに対し、インテリジェンスは安全保障的懸念や政策形成に資する知識を「体系化」することに重点を置くように、両者は同じ対象を扱いながらもその重心が異なります。相補的であり得る一方で、目的と評価軸が異なる以上、ときに緊張関係が生じます。この二つを縦横無尽に往来できれば理想的なのかもしれませんが、それは容易ではありません。だからこそ私たち研究を志す者は、いま自分がどの目的で、どの評価軸で語っているのかを自覚し、根拠と推論の射程、そして限界を明示しながら議論を組み立てていく必要があります。そうした手続きによってこそ、学問の自律性を具体的に支えることができます。
現在、現代中国研究という分野は、かつての古い前提が機能不全に陥り、新たな枠組みもまだ完成していない揺らぎ続ける中間状態にあります。だからこそ私たちは、安易に異質論や脅威論と結論づけてわかった気になったり、悲観論に逃げたりするべきではありません。いま私たちは、この「わからなさ」が生まれるメカニズムそのものを、新たな理論として体系化していく挑戦のさなかにいるのです。
SFCで学ぼうとする皆さんも、日々の研究や社会実践のなかで、データが足りない、前提が覆る、といった「わからなさ」に直面することがあるでしょう。その時、目先の「下流」の現象だけでわかった気になり、あるいは過度な不安や焦りを高めるのではなく、揺らぎのなかに踏みとどまり、見えない「上流」の論理と格闘し続ける強靭さを持ってほしいと願っています。
不確実な世界で「わからなさ」を解き明かしていく。そんな知の探求を、これからもSFCという場で皆さんと共に続けていきたいと思います。
