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2025.08.06

フィールドに行く|総合政策学部長 加茂 具樹

あっという間に季節は一周し、再び未来構想キャンプの季節がやってきた。

今年の夏もSFCは、それぞれの場所で未来構想キャンプ2025を実施している。今年は、8月3日から8月5日の日程で、SFCで4つのワークショップが、そして京都と米子でそれぞれ一つずつのワークショップが展開している。 未来構想キャンプ2025のメイン会場であるSFCでは、「WS01:高校生のための起業・経営ワークショップ ~スタートアップで未来を構想する~ 」(8月5日)、「WS02:多言語教育ワークショップ  ~多言語で俳句を詠む~ 」(8月5日)、「WS03:戦略的意思決定ワークショップ 〜冷戦下の世界を舞台に戦略を描く〜 」(8月5日)、「WS04:工作ワークショップ 〜みつける、みたてる、つくる、そして風景をつくる〜 」(8月4日、8月5日)が開かれている。

京都市では、8月4日と8月5日の予定で「京都WS:場づくり・まちづくりワークショップ in 京都 ~公共施設・公共空間のひらき方~」が京都市の協力を得て開催している。そして、これに先んじて鳥取県米子市では、8月3日から8月5日の予定で「鳥取WS:未来構想キャンプ in 米子(鳥取)Augmented Town ワークショップ ~XR とロボティクスで人、暮らし、地域医療の未来をひらく~」が、鳥取県とWebDINO Japanの共催、米子市の協力のもとで開催している。

この原稿を執筆している私は、8月4日(月)の京都WSのキックオフに参加して、キャンプに参加している皆さんに挨拶をしたあと、翌朝のSFCでの未来構想キャンプのキックオフイベントに出席するために、東京へ帰る車内でこの記事を書いている。

ここ数年、未来構想キャンプで高校生徒と向き合っている同僚の姿を間近で見ている。そうすると毎年、私も自身の教育と研究のフィールドに行きたい、という気持ちを抑えきれなくなる。

中国研究者として、学生とともに中国に赴き、中国研究の魅力に誘いたい、という気持ちに突き動かされる。学生の頃の私は、中国を理解したくてSFCで中国語を学び、そこに住む人間を理解したくて政治学のディシプリンを学び、中国社会と如何に向き合えば良いのかを考えたくて国際政治を学んできた。そんな学生の時の思いを、キャンプに行くと思い出す。だから今年も、特別研究プロジェクトを立ち上げて、学生と共に中国に行くことにしている。

新型コロナ感染症のパンデミックが終息してから私の研究室は、学期期間中に、現代中国の政治や外交に関する学術研究を精読し、またその領域の実務家との議論をつうじて、中国理解を深める一方で、長期休暇期間中に、様々な状況に注意を払いながら中国を訪問して、中国の大学生との交流を繰り返す試みを復活させている。海外の研究者を招いて講義の機会を得ることもある。ここ数年、試行錯誤しながら学術交流を復活させてゆくなかで、学生達の姿を観察していると、交流のたびに中国への理解を一歩一歩深めている姿が見えてくる。

今年3月に中国を訪問した学生達は、中国の学生との交流をつうじて、東アジアに位置し、文化的にも歴史的にも共通点の多い中国の「つながり」や「共通点」を見出すことで、相互の理解を深めようとしていた。これは相互理解の方法として王道かもしれない。しかし、今年9月の中国訪問を控えて学生達は、日中間の共通点だけに目を向けて、「似ている」と安易に信じることの危うさにも気がつき始めている。つまり学生達は、日本と中国との間には、実際には異なる社会制度によって生み出される価値観や利益観の違いが存在しているのであって、そうであるがゆえに将来像に対する認識の相違があるのかもしれない、ということを語りはじめている。おそらく、学生達は共通性だけ相互理解の手掛かりを求めるのではなく、違いのなかに理解の手掛かりを見出そうとしているのだろう。そして、そもそも14億の人口と960万平方キロメートルの国土の中国を「中国」という言葉で理解しようとすることに限界があることも感じている。まだ学生には詳細を聞いていないが、何を考えているのかを聞いてみたい。

相手を理解する。日中両国の社会が相互に相手を理解する、とはいったいどういうことなのか。理解しようとする社会を訪れ、そこにすむ人間と直接に向き合い、緊張感を抱きながら、敬意を抱きながら言葉を交わすことが、相互理解の入り口のように思う。いまからちょうど30年前、初めて中国へ長期留学をはじめた暑い夏のことを思い出す。

加茂 具樹 総合政策学部長/教授 教員プロフィール