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2023.11.16

意思決定という日常 |総合政策学部長 加茂 具樹

どうも時間の経過がはやい。というよりも、「後ろから、誰かが鞭を持って、私を駆り立てているみたいだ」というある政治指導者の言葉を思い出す。学部長という、情熱をそそいで取り組む役に就いているのだから、そういう心地よさを感じるのは、あたりまえなのかもしれない。

SFCは光速で走っている。SFCが育てたい学生像は、目まぐるしい変化に適応する力をもつ学生ではなく、すでに生じている変化を加速させる学生でもなく、社会をイノベーションする力をもつ学生である。だから、いつもなにかが起きている。

そんな日常で求められることは、迅速な意思決定である。ライトにいえば、テンポ良く、仕事にかかわるメールにリプライすることだ。着信したメールに、ぱっと返事を打ち返すことは簡単なようで、結構難しい。いろいろごめんなさい。

意思決定。それは「選択」だと言い換えられることもある。何が問題なのかを見出して、その問題を解決する選択肢の選択をつくり、そのなかから一つを選択する、というプロセスである。しかし、意思決定というのは、そんな単純な過程ではないらしい。

意思決定の過程は、まず問題とは何かを定義することからはじまる。そして、政策の選択肢をつくるための情報を収集する。選択肢を生成する。意思決定のルールを考える。すでに生成してある複数の選択肢の優劣を評価する。そうしてようやく選択肢を選択する段階に入る。メールにぱっと打ち返すというのは、瞬時にこの過程を辿ることを意味する。

意思決定の過程には、エラーが生じるポイントが沢山ある。問題の定義にあたっては創造性が求められるはずだが、特定の仮説に囚われる可能性がある。選択肢をつくるためには豊かな情報が必要だが、それは常に完全ではなく、歪んでいる可能性がある。選択肢の生成や選択肢の評価にあたっては、判断のバイアスがあることを自覚しなければいけないし、意思決定のルールは場当たり的なものになる可能性がある。自らの選好を把握し、自らの選択の癖を知る。意思決定の過程には、こうした課題が隠れている。

政治指導者の回顧録を読むことがある。ある海外の指導者はこう述べていた。「正しい事を知っているだけでは、指導者として十分ではない。正しい事を実行しなければならないのである。いくら指導者を自称しても、ただしい決定に要する判断力と勘を持たない者は、眼力不足のゆえに失格者となる。正しい事を知り得ても、それをなすことができない者も、実行力なきゆえにやはり失格者である」。

どうやら、そういうことらしい。

こう書いていると、秘書室からslackのメッセージがとどく。曰く、昨日送ったメールが求めている回答の締切は明日だけれども、明日の私は、終日、行事が入っているので、機会があれば本日中に確認して欲しいと。こういう催促を受けるようではいけない。Hさん、ごめんなさい。

加茂 具樹 総合政策学部長/教授 教員プロフィール