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2022.02.15

なぜ中国研究なのか|総合政策学部長 加茂 具樹

なぜ中国を研究しているのか。よく問われる。

私に特別な中国とのご縁があったわけではない。しかし、日本の敗戦から三〇年しか経っていない一九七〇年代半ばに生まれた日本人として、よくあるご縁はあったのかもしれない。祖父の存在だ。戦前、朝鮮半島や中国大陸で家族とともに比較的大きな工場を経営していた祖父は、中学生になった私に、「未来のアジアで活動したいのであれば、中国を学んでおくべきだ」とよく話していた。

とはいえ、当時の私は、現実から隔絶された空間で中国に夢中になっていた。三国志だ。『三国志演義』は、第百十八話で蜀が滅亡し、第百二十話で呉が降り、あっけなく物語が終わる。これに憤った私は、ある年の夏休みを費やして、蜀が魏と呉を討って天下を統一する架空の小説を書き、これを普通部の労作展に提出した。もはやどんな物語を書いたのか忘れてしまったが、担任の先生にとても褒めていただいたことは、よく覚えている。

現実空間のなかで中国と向き合うことを私に促したのは、一九八九年の天安門事件であった。ただし、より正確にいえば、この年の夏、九州沿岸に「難民」が漂着したという報道だった。当時の新聞紙を検索すると、五島列島沖などで発見された船にベトナム難民とともに中国人が乗船していた、という記事がすぐにみつかる。天安門広場での出来事に衝撃を受けていた私は、それと同じように、もしかしたらそれ以上に、この報道を一大事と感じた。国家が混乱すると難民が生まれる。当時の私は、漢末の黄巾の乱を想像したのだろう。それから、政治を勉強しないといけない、と考えるようになった。そして大学学部で恩師に出会い、以来、大好きな中国研究に没頭した。

あれから三〇年が経過した。三〇年の間に中国は飛躍的な成長を実現し、二〇三〇年代には米国を抜いて世界第一の経済大国になる可能性が論じられている。今から三〇年前に、どれほどの人が、この現実を想像したのだろうか。

一九九〇年代に人々は、「歴史の終焉」論に突き動かされるように、「中国はいつ、どのように民主化するのか」を論じた。これが世界の中国研究の中心的な問いであった。それが三〇年を経ずして「なぜ中国共産党の一党支配は持続するのか」へと問いは変化した。秩序は変化し、問いも変化する。

20220215加茂先生写真.jpgのサムネイル画像『三国志演義』の第一話は次の言葉ではじまる。「そもそも天下の大勢は、分かれること久しければ必ず合し、合すること久しければ必ず分かれるもの」。秩序は流動するという感性は、非常に重要なのではないか

「外交的感性のない国民は必ず凋落する」という言葉がある。国際秩序は流動するという感性は、日本に住む私たちにとって大切なのではないか。日本の地政学的環境は変わらない。日本は明治維新以来、中国や朝鮮半島との関係と、米国や西欧列強との関係をいかにバランスさせていくのかという問題と向き合ってきた。その失敗の歴史が一九四五年の敗戦であり、戦後の日本の外交は、失敗の経験を生かして、今のところうまくやっているようにみえる。ただし、これからもうまくゆく、という保証はなにひとつない。外交的感性を研ぎ澄ます必要がある。

秩序は流動する。望ましい秩序は望むものではなく、秩序は創りにゆくものである。これは「政策を考え、未来を考える」総合政策学部での教育と研究をつうじて涵養したい感性の一つだといえる。私は、これを総合政策学部で学んだ。

加茂 具樹 総合政策学部長/教授 教員プロフィール