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2021.11.09

気が重いDX|常任理事/政策・メディア研究科教授 土屋 大洋

私が最初にコンピュータを触ったのは小学生の時で、MS-DOSのコマンドを教えてもらったが、何もときめかなかった。教えてもらったコマンド以上のことが分からなかったので、すぐに飽きてしまった記憶がある。

その後、日吉キャンパスの学部生になって、コンピュータをちゃんと使えなくてはいけない時代になるらしいと聞き、FORTRANの授業を受けた。先生は中国出身で、一所懸命日本語を話しながらコンピュータ言語であるFORTRANの使い方を講義してくれるのだが、私の心には響かず、会得することはできなかった。

三田キャンパスで学部のゼミに入ると、Macintosh(当時はまだMacと略していなかったと思う)信者のH君がいて、Macintoshの手ほどきをしてくれた。彼のお古のMacintosh SEも譲ってもらった。その頃のOSは漢字Talkという不思議な名前が付いていた。米国生まれのMacintoshに日本語を話させるという意味だったのだろう。その後、H君は日本IBMに就職し、パソコンのハードウェアには興味を失ってしまったそうだ。

修士課程に入った頃、東京大学の先端科学技術研究センターに出入りする機会があった。まだ三田キャンパス内ではインターネットが自由に使えなかったので、先端研のキャンパスに入り浸ってインターネットとは何かを理解し始めた。自宅ではパソコン通信経由で電子メールやブラウザを使っていたが、電話線を独占してしまうので、家族との諍いが絶えなかったが、先端研では自由に使えた。しかし、ローリング・ストーンズがホームページを作ったというので見に行くと、トレードマークの赤いベロがスクリーンで見えるのに1時間ぐらいかかった。

1996年4月に湘南藤沢キャンパス(SFC)の後期博士課程に進学すると、研究室や「トッキョー」と呼ばれていた特別教室にはUNIXのワークステーションが並んでいた。三田キャンパスの修士課程では、当時まだ学生向けのアカウントが発行されていなかった。SFCのITC(情報技術センター)で電子メールアカウントを聞かれたので、パソコン通信のメールアドレスを出したら、「かわいそうに」と蔑んだように口にした担当者の顔をよく覚えている。

当時のSFCではパソコンを生協の割引価格で学生に買わせていたが、Windows 95が1995年に出たばかりで、Windowsパソコン上でUNIXのコマンドを打ってメールを読むのが当たり前だった。よく分からないコマンドを覚えてくださいとSFC育ちの院生に教えてもらい、なんでこんなことしなくちゃいけないんだと思いながら、黒い画面に流れるメールを読んだ。

後期博士課程の間、SFCではUNIXコマンドに苦戦しながら、アルバイトをしていた国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)ではほぼ全てのパソコンがMacintoshだったので、結局、私はMacintoshを使い続けることになる。

2004年に教員としてSFCに戻ってきたときは、UNIXを使っている人はほとんどいなくなり、Windowsが主流、Mac(2001年頃に呼び名が変わった)が少数派だったが、その後、17年の間にMacがずいぶん増えたような気がする。

今、慶應義塾全体の情報基盤担当に就いている。そして、DX(デジタルトランスフォーメーション)を担当することになった。実態を知れば知るほど、大がかりな仕事だと理解しつつある。DXは単なるデジタル化ではなく、組織の体質を変革することまで目指しているという。

慶應義塾では、一貫校、学部、大学院、病院、事務部門、それぞれで異なるたくさんのIT(情報技術)システムが使われている。新しいものもあれば、古いものもかなり残っている。それぞれ各部門に特化し、多様なカスタマイズが行われている。それなしに業務ができないと担当者が主張するものも多い。しかし、義塾全体の教育、研究、医療、事務をスムーズに、シームレスに行うには、かなりの整理が必要である。

コロナ禍に伴うテレワークはそれを顕在化させた。キャンパスの中でしかアクセスできないシステムもあり、新型コロナウイルスがどんなものかもまだよく分からなかった2020年の春、一部の職員にはキャンパスへの出勤をお願いせざるを得なかった。

情報技術担当だった國領二郎前常任理事がレールを敷いておいてくださった。しかし、本格的な路線変更はこれからだ。

第1回のDX推進委員会を開いた。一貫校、各キャンパス、病院、事務部門から心意気のある方々に参加していただいた。とはいえ、どこまでできるか、正直不安である。

これから義塾全体で行うDXは、できるだけシステムをカスタマイズせず、各部門で同じものを使ってもらうことになる。職員は様々な部門に異動していく。これまでは所属部門ごとのシステムに頭を合わせていかなくてはいけなかった。学生や教員にはそれが分からず、自分たちが慣れ親しんだものにこだわる傾向がある。しかし、キャンパスを移動したことがある私には職員の苦労が少し分かる。

生徒・学生たちは、所属する一貫校や学部・大学院、キャンパスの垣根を越えて学ぶことを求めている。オンライン授業が増えた中では当然だ。しかし、各部門で使っているシステムが違っているために、その調整が職員の負担になっている。学生や教員は「なぜできないんだ」と声を上げるが、かなり面倒なのだ。それぞれの部門で使っている慣れ親しんだシステムと業務手順をあきらめてもらわなければならない。

それを整えていくことが、塾長から与えられた私の仕事の一つだ。正直言って気が重い。

土屋大洋 常任理事/政策・メディア研究科 教授 教員プロフィール