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2021.06.01

同期した集団|環境情報学部長補佐/教授 内藤 泰宏

カウロバクター・クレセンタス(Caulobacter crescentus)という微生物がいる。比較的栄養に乏しい淡水湖などに生息し、1970年代から細胞周期の研究のために生命科学者たちに重用されるようになった。
細胞周期とは、細胞分裂によって生まれた細胞が次世代の2つの新たな細胞に分裂するまでの過程である。細胞周期を1周する間に、細胞は自分自身をつくっているタンパク質やDNAなどありとあらゆる生命分子をおよそ2倍に増やし、それらを巧みに分配しつつ、最後には細胞を2つに切り分ける。統制された細胞周期によって自らを複製し増殖する仕組みは、生物が集団として生き抜く上で、最も基本的で重要な機能のひとつだ。
自然界であれ、実験室の試験管の中であれ、細胞はそれぞれ自分でタイミングを計って細胞周期を回しており、数億あるいはそれ以上の細胞からなる集団には、次世代の細胞の材料づくりに励んでいるもの、今まさに2つの細胞に分かれようとしているもの、当面分裂の予定はなく淡々と生活しているもの----とさまざまな段階の細胞が混じっている。そのため、例えば細胞が2つに分裂する前後に何が起こっているかを知るために、今まさに分裂しようとしている細胞だけを採集しようとしても、半世紀前の生命科学者にそれはとても難しかった(現在では当時よりかなり簡単に仕分けられる)。
1970年代後半にワシントン大学の研究室で分離されたカウロバクター・クレセンタスの変異株は、細胞周期の段階が揃った「同期」した細胞を容易に集められるという特性をもっていた。「NA1000」と名づけられたその変異株を用いて数多くのユニークな研究成果が産みだされ、1990年代に大学院生だった私は、こんなおもしろい生き物がいること、それを見つけてきて利用してしまうおもしろい科学者がいることに、たいそう感心した。
生物個体が集まったものを集団(population)と呼ぶ。細胞分裂や繁殖による世代交代のタイミングがバラバラで「同期」していない集団の変化は、おしなべて緩やかだ。どの一時を捉えても、ある割合の細胞は今まさに分裂しようとしており、別のある割合の細胞は分裂の支度をしていたり、休んだりしている。集団の世代交代は、恒常的かつ部分的に少しずつ進んでいく。ヒトの集団の世代交代も「非同期」だ。町や村、国家といった集団を構成する個体や家族は、少しずつ世代交代していく。一方、増殖が同期した集団では、多くの細胞が同時に細胞分裂をおこなうため、集団の世代交代がある時一気に進む。前世代の個体が一斉に退場し、新世代の個体がいきなり集団の多くを占めるようになる。

31年前に開設された際、SFCは、全教員が総合政策学部、環境情報学部の1年目の「新人」として一斉に着任し「同期」した状態で始まった。むろん、すでに他学部、他大学や企業でキャリアを積まれてきたベテランから、当時の最年少教員グループとして学位取得後まもなく着任された方々まで年齢構成には多様性があったが、創立100年をとうに過ぎ、幾多の世代交代を重ねてきた先輩諸学部に比べれば、「同期」の程度が高い集団だったといえるだろう。そして、彼ら彼女たちはSFCの「はじまり」「起源」を我が身で体験し、共有する唯一無二の「初期集団」だった。
偉大な先輩方を微生物の集団に擬えるなど、諸方からお叱りを受けそうだが、私は2000年に嘱託助手として着任した当時から、カウロバクター・クレセンタスを思い浮かべつつ、SFCは教員のステイタスがそこそこ同期した特殊な集団だなぁと感じ、ときどき科学者のメガネをかけて興味深く観察してきた。
もっとも、集団を構成する「個体」は、自己複製したコピーとはほど遠く、過剰なまでに個性的で相異なっているのだが、にも関わらず開設から10年遅れで紛れ込んだ私のような「外来種」から見て「同期しているよな」と感じる場面は多々あった。「同期」した集団は、確固たる何かを共有しており、自分も遅ればせながら少しずつそれを知っていくのが楽しかった。
その最初の集団を構成していた、最初の世代の「個体」たちが、開設30年を経過して、ほぼ完全に姿を消そうとしている。だから何だ、それは良い、いや悪い、などという話ではない。30年前に「同期」して始まった「初期集団」が、必然として迎える最初の世代交代が、既定のスケジュールどおりに進行し今まさに完了しようとしている事実が目の前にある。今後もSFCの教員集団は、第2世代から第3世代、さらにその次へと世代交代を重ねていくだろう。しかし、これほど確然とした世代交代は、おそらくこれが最初で最後だ。
何ものかが新たに芽生え、何ものかは喪われていくのかもしれない。個人的には無批判に過去を押し頂いて奉るようなことはせず、たとえ躓こうが、思うさま振る舞えばいいと考えているが、ひとつだけ、願わくば、学問領域の境界を越境しつづけようとする志は共有しつづけられるといいな、と思う。多彩な領域の教員が集うだけでは、越境は起こらない。互いをおもしろがり、理解し合おうとし、共感に努め、それぞれが己を変えていく覚悟を持たなければ、融け合いはしないだろう。SFCには、多彩な学術領域が松花堂弁当のように碁盤目に箱詰めされているような行儀良さではなく、闇鍋のような得体の知れなさを今後も求めたい。現今、SFCで縦横無尽な越境が実現しているかといえば、未だ道半ばかその手前のようにも感じるが、我が身を傷つけてでも越境しようとする同僚や学生に数多く出会うことができたのも事実だ。

15年ほど前、それまで嘱託や有期契約でSFCに勤めてきた私は、終身職のポストに応募した。審査の最終ステップは大先輩の教員15人ほどにコの字に取り囲まれての面接で、辞書に『圧迫面接』という項があれば挿絵になりそうな景色だった。そこで、自分の生命科学に関する考えを好き勝手滔々と述べたところ、私を取り囲む教員のひとりから「君はさっきから科学科学と科学にこだわっているが、科学にならなくても学問になることはあるだろう」と問いかけられた。自分がどう答えたか、今やまったく覚えていないが、問いかけ自体はずっと頭の片隅に残っていて、今も思いだして考えることがある。
私のように、地方の単科医大で学び、大学院の途中から医学を離れて微生物の分子遺伝学に進み、さらにSFCに移って計算生物学に転じたような「あれこれ遍歴しているようでいて、実のところ一貫して自然科学(とりわけ生命科学)の掌の上をうろちょろしてきただけ」の人間を、終身職の教員として雇用するか否かを決める面接で「科学にならなくても学問になることはあるだろう」と問いかけてくるような学部、キャンパスは、日本広し、いや世界広しといえども滅多にないだろう。
「ホントにおもしろいよな、SFC」と心底そう思ったし、それは今も変わらない。おもしろければ即ち良質であるわけではないし、一見おもしろいことがむしろ弱点になっている場面にもしばしば出くわす。ただ、確かにおもしろい。そのおもしろさをどう自覚し、どこに差し向けていくかが肝要だろう。

第1世代の初期集団を構成した教員が去り、SFCは、今後二度とないであろう苛烈な世代交代を今まさに経験しつつある。その一員として私にできることを私なりにやりながら、定年までの10余年、これまでの20年間と変わりなく、ときどき科学者のメガネをかけて、この愉快な「同期を脱しつつある集団」を観察しつづけていきたい。

二度目の「おかしら日記」の依頼をいただいたことに感謝します。この20年余りの間に、数多くの同僚や学生と交わした会話を思い起こして整理する、良い機会になりました。

内藤 泰宏 環境情報学部長補佐/教授 プロフィール