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2020.04.21

忘れる前に|常任理事/総合政策学部教授 國領 二郎

あまりに目まぐるしくて、後になると記憶が混乱してしまいそうな一方で、歴史として残しておくことに価値がありそうな気がする。新型コロナウイルス対策関連で自分が経験したことをいくつか書いておきたい。あまり解釈を加えない方がいいのかもしれないが、今回の教訓としては、楽観、悲観が交錯する中で、悲観気味に備えつつ、あまり早く取り組みを押し付けず、準備をしながら決定をした時に迅速に動けるようにするのが大切といったところのように思う。

2020年2月3日のメールログが残っている。APRU(環太平洋大学連合)プロジェクトのホスト校として慶應義塾大学が2月21日にバンコック国連施設で開催企画していた会議が出来るかできないか、という議論をしていた。2月3日時点ではまだ、バンコックは開催可能だと連絡が来ていた。中国からの参加者がこられないとか、不要な渡航を避けるように指示が出ているのでこられない人が現れ始めているなどの議論があったが、まだリアルの開催の可能性を探っていたわけだ。しかし、その24時間後、2月4日に遠隔会議を行った時には、急激にアジア中で状況が悪化していて、あっさりリアル会議の断念とオンライン実施が決まった。実は2019年秋にも同じメンバーでのオンライン会議をやってうまくいった経験があったのが背中を押してくれたように思う。とはいえ、突然の決定だった。今になって、2月5日のてんやわんやで遠隔会議の準備に入っていたログを見ながら、遠い昔のように思えてしまうところが不思議な感覚だ。

スケジュール表に2月14日に情報システム関連の幹部職員を理事室に迎えた記録が残っている。別の案件での打ち合わせだったが、この時に初めて「キャンパス内でクラスターが発生してロックアウト(慶應義塾では中から閉めることをロックアウトと呼んでロックダウンと区別している)せざるを得ない状態を想定して準備を考えて欲しい」とお願いをした。ただ、私も含めてそれが現実のこととなるとは、思っていなかったように思う。その時は時間切れで深くは会話しなかったが、以後の断続的やりとりの中で、教育の方は何とかなっても、事務の業務を完全に在宅にするのは難しいだろうというようなやり取りをしていた。まだのんびりしていた。

同じ2月14日に、長年遠隔授業で協働しているKMDの大川教授に慶應義塾大学の教育が丸ごと全部オンラインになるような日をシミュレーションして、何が必要か考えて欲しいとお願いしたログも残っている。その時に「ホントにそうするのですか?」と聞かれて、「3月19日の会議(大学評議会)まで公式の意思決定はできないと思うので、3月19日に照準を定めて考えて欲しい」とお願いしたことを記憶している。今思うとやはりのんびりしていた。

実際は会議が3月16日に繰り上がり、授業開始日を4月30日とし、オンライン教育を積極活用することが決まった。2月14日ころから検討していたので、ずいぶん助かったとは思うのだが、今にして思えば、もっと本気でもっと早くやっておけば良かったように思う。もちろん後の祭りだ。2月14日にはまだまだ油断していたことは正直に認めて記録しておいた方がいい。緊張が高まったのは2月27日に安倍首相が小中高に対して「3月2日から春休みまで臨時休校を行うよう要請する」と声明を出したころからだったように思う。検討が加速し始めた。

そこに降ってきたのが、ニューヨークである。ちなみに私は慶應義塾ニューヨーク学院理事長だ。

ニューヨーク州で初の感染者が発見されたのは3月1日と遅かった。実は、それまでは危険度が高まり米国が入国制限を始めていたアジア(含む日本)に春休みに生徒が帰らないように、春休みを廃止してその分夏休み入りを早めるという意思決定をして間もなくのころだった。初の発症者が現れたと聞いた時もまだまだニューヨークの方が安全だろうと思っていた。そこから感染者が激増して学院にごく近い町が封鎖されて州兵が支援に向かった3月10日まで、たったの9日間である。

私のチャットの画面に学院の所属するWestchester郡の感染者が11名に達して、寮がクラスター化することが大きなリスクだという指摘が来たのが3月4日である。確かに寮の中に感染者が現れることは、実家が海外にある生徒がほとんどである学院にとっては対応できない危険を伴う。学院長と意見交換をし、全く同じ見方をしていることを確認した。そこでニューヨーク学院の全理事に緊急のメールを送って審議を行ってもらい、キャンパス施設を閉鎖する決定を行う委任をもらった。結局、帰れる生徒からただちに実家に帰すようにと指示を出したのが現地時間の3月7日(金)だった。全生徒がキャンパスを離れた3月13日には米国に非常事態宣言が宣言され、交通網にも大きな影響が出始めていた。7日に決定をした時は早すぎかもしれないと思ったのが、実際には滑り込みセーフだったことを今にして思う。

ニューヨーク学院のキャンパス閉鎖をする時に考えたのが、「日本の学校は3月2日から春休みまでの2週間程度の授業停止だが、アメリカの学校であるニューヨーク学院にとっては、3、4、5月の三か月分の授業が飛ぶ話になるので、単純な休校は許されない。オンライン教育に移行することが必須だ」ということである。理事長になって7年目なのだが、今までこんなトップダウンで乱暴な意思決定をしたことないと思いながら、「これは休校ではない。オンラインで教育を継続する」と宣言し、宣言してしまってから現場にどのようにやるかを考えて欲しいと乱暴な注文を出した。寮制という、言ってみれば真逆の教育システムを動かしてきた教職員にとってはコペルニクス的転回で、ついて来てくれた教職員には心から感謝している。聞けば現場で学院長が鬼気迫る檄を飛ばしてくれたようだ。

3月も後半に入ると、日本でもロックダウンが行われることが現実味を帯びて語られるようになってきた。そこまでいかなくても、本部(塾監局)の誰かが感染して、中枢機能を在宅に移行させなければいけなくなることを想定せざるを得なくなってきた。常任理事会を事務局まで完全在宅で実施する準備を始めた。スケジュール表に塾長・常任理事相手に28日と29日に二種類の遠隔会議の練習をやった記録が残っている。

ただ、Web会議システムで会議が出来るだけでは、職員まで出勤できない状況になってしまったら実際の意思決定機能は維持できない。常任理事会に上がってくる意思決定事項は、裾野ひろく各部門の確認を経て初めて上がってくるものだから、起案者レベルから最上位までオンライン化していないと最上位の会議だけやっても動かない。

幸運だったのは、決裁をオンライン処理するワークフローシステムが2020年4月から稼働を開始する段取りで3月末から練習が始まっていたことだ。大急ぎで塾長や常任理事の皆さんに仕組みを習得していただいた。さらに、当初は持ち帰り厳禁で運用を開始するつもりだった端末を持ち帰っていただくことにした。文書共有システムも合わせて使いながら、4月10日には慶應義塾の歴史で初めての事務局まで含めた全員が在宅オンラインで参加する常任理事会が開催され、決裁が行われた。

幸運と書いてしまったが、オンライン常任理事会の実現は、大学の全職員を網羅する共通認証システムや、それに守られた文書共有システムやWeb会議システムなどを稼働させてあったからだ。セキュリティを(警戒しつつも)確保しながら、法人機能や教学機能をオンライン展開できる素地を作ってくれてきたスタッフの長年の努力のおかげだと感謝している。

そんな基盤がありながら、大学の中には不合理な業務プロセスがまだまだ沢山残っていることも事実だ。オンライン決裁が網羅的になっていないのは、業務改革がまだ途上であるからだ。多くが今回の危機の対応に間に合わなかったことを申し訳なく思ってもいる。言い訳をすると、結局、危機が目の前に迫ってニーズが切迫しないと動かないことも、以上の経緯からも人間の性としか言いようがない。これを教訓にして業務改革を進める決意を新たにしている。

やっぱり結論は、なすべき準備をしつつ、多くの方がニーズを感じて動きたくなった時に迅速に動けるようにしておくのがいい、ということだと思う。締め切りがこないと原稿が書けないのと同じですね。

今回の危機、まだまだ終わったわけではないので、引き続き気を引き締めて対応したいと思う。

國領 二郎 慶應義塾常任理事 / 総合政策学部教授 教員プロフィール