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2019.10.15

台風19号を通して考えたこと|環境情報学部長 脇田 玲

とてつもなく巨大な台風19号がやって来た。地球史上最強(?)と言われていたこともあり、マスコミもネットも最大限の警戒を促し続けた。SFCのおかしらも、被害を最小にするための準備に追われた。講義や残留の取り扱い、秋祭のこと、設備のこと、様々なシナリオを想定しつつ、執行部と事務局とで情報をシェアしながら、一つ一つの問題に対応していった。ここで公言することはできないが、裏では様々な制約や葛藤があった。台風は過ぎ去ったが、それに関係した対応は引き続き行われている。まだまだ終わりそうにない。
そして、ハギビスは日本全国に苛烈な爪痕を残していった。SFCへの被害については、今のところ、人命に関わる情報は入って来ていないし、キャンパス設備にも大きな障害はなかった。幸運だった。

今回の災害の中で、SFCの縁の下の力持ちの存在も知った。豪雨の中、キャンパスに宿泊して、万が一の事態に備えてくださった方がいた。台風一過、いち早くキャンパス全体を視察してくださった方がいた。様々な職員の皆さんに支えられて、SFCは動いていることを知った。
今後、SFCのおかしらとしては、被災した学生や教職員のケア、災害に向けた対策の強化をしていく予定だ。国や自治体もより強固な防災対策を進めることだろう。

しかし、それだけでは、何か大切なことが抜けているように感じるのだ。
おそらくそれは、防災意識の欠如ということかもしれない。関東に台風が接近する中、三田での会議を終えて、近所のピーコックに寄ったら、食品がほとんど残っていなかった。ガソリンスタンドには行列ができていて、そのせいで道路の至る所に渋滞が発生していた。みんな直前になって慌てて準備しているのだ。
日本に台風が多いことは、みんな知っている。でも、巨大台風に対して、ほとんどの人が準備をしていない。そんなものは来ないと思っているのか、来たとしてもなんとかなると思ってるのだろう。思えば、3.11の時もそうだった。

防災意識というのは「何かに対して備える」というマインドのことではないのだと思う。寺田寅彦は「天災は忘れた頃にやって来る」と言ったそうだ。いくら万全の備えをしたところで、60年とか70年といった人の一生ほどの時間が経過すれば、その準備を引き継ぐことは難しくなる。社会は天災を徐々に忘れて行く。しかし、60年とか70年といった時間は、地質学的な時間軸でみれば、一瞬でしかないのだ。次の瞬間に大災害はすぐにやってくる。
もっと根本的な自然への眼差しというか、日本人の自然観そのものを変えていく必要がある。我々が生活している空間のあらゆる全ての場所に、風を伝える仕組みや能力が備わっている。台風を引き起こし、それを伝え、街や人生を簡単に破壊する、そんな空間に満たされて我々は生活している。そして、今、あなたの指先はその空間に触れている。そのような自然への眼差しを持つことが防災意識の第一歩のように思う。

幸いなことに、SFCには防災の専門家の大木聖子准教授がいるし、気象学の専門家の宮本佳明専任講師もいる。とても心強い。彼らは僕なんかよりも何百倍も多くのことを考え、実践しているのだろう。彼らとともに、SFCに新しい防災意識を醸成していけたらと思っている。

terada_torahiko_syoei.png【参考文献】
寺田寅彦
『地震雑感/津浪と人間 - 寺田寅彦随筆選集』、中公文庫、2011.
関東大震災の当時に日本に何が起きていたのか、詳しく記載されている。地震や津波といった自然災害のタイミングに、戦争やテロが重なる可能性まで考えていたのは興味深い。

脇田玲 環境情報学部長/教授 教員プロフィール