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2011.06.23

人道支援、産休、そしてその後は?

SFCスピリッツ

人道支援、産休、そしてその後は?

菅原由佳さん
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)第三国定住部署職員(ナイロビ、ケニア)として勤務後、現在は出産のため休業
1998年環境情報学部卒業

SFCで私のその後を決めたものは、数人のよき友と、梅垣先生の研究会(「Visions in history」)で学んだ社会・政治的マイノリティーに対する視野だと思います。梅研とその頃出合ったNGOの影響もあり、表舞台ではイスラエル人を攻撃するテロリストとしてニュースに登場しがちなパレスチナ人の表象と彼らの占領地での暮らしに関心を持ちました。長期休暇ごとにパレスチナ西岸・ガザ地区を訪ねパレスチナ人の家庭でホームステイなどをしたことで、それまで心理的にも距離的にも遠かった現地の状況が身近でリアルなものになりました。

卒業してからの13年を振り返ってみると、SFCで培ったマイノリティー/複数のリアリティーに対する関心と視点が、これまでの生き方に直結しているとつくづく思います。卒業後、パレスチナ西岸地区の村でコミュニティー開発に携わった後、開発援助を学びましたが、2003年に大学院を卒業してからは縁あって人道援助に関わりました。緒方貞子さんの言葉どおり、人道援助は人道援助を必要とさせる根本問題の解決にはなりません。しかし、人災や天災で生命の危機にある人々の苦しみを人種、宗教、政治を超えて和らげようすること自体人権的視点から重要であると同時に、私にとっては国境や宗教などのバリアを超え人間としての連帯を可能にするエキサイティングな仕事です。数年間、NGO国境なき医師団の人事・財務コーディネーターとしてスーダン・シエラレオネ・インドネシアなどの紛争/紛争後地域での医療プロジェクトに参加した後、2011年1月までの2年間はUNHCRケニアの第三国定住部署で働く機会を得ました。どこでも主な支援対象者は常に難民や国内避難民でしたが、様々な苦難を乗り越えて生きてきた彼らから、笑いと涙を通して紛争の恐ろしさと人間の強さ・弱さを多くを学ばせてもらいました。公平・中立・独立性といった人道援助の根本に忠実に、支援を必要とする人々に援助をすることの難しさも体験しました。

2011年はまるまる休業しています。丁度仕事の契約が切れたのと4月に出産予定なので夫の実家があるドイツで充電中です。今後どうするかは自分でもまだ分かりませんが、これまでの様々な経験を振り返り、それを今後にどうつなげていくか考えたいと思っています。

(掲載日:2011/06/23)