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2004.06.10

おかしらリレートーク: 「応援は不可能を可能にす!」(甘いか?)|吉野肇一(看護医療学部長)

「学生時代,これだけはやるべし」ときたら,何といっても野球の早慶戦(おっと,慶早戦か)に参加することですね。

この楽しさ・愉快さは,塾生だけの特権で,塾員(卒業生)になってしまうと,それがやや薄まるのですが,それでも,前回の熊坂さんの日記に載っていた小島さんは楽しそうでした。もちろん,早大生もこれを享受することができます。が,在学中はもとより,卒業後の愛校心が,どうも,塾のほうが強いと思えるのです。これは,たまたま,僕の次女が早大卒であるから言えることです。(熊坂さん,ごめんなさい。)

僕は,学生時代,ボート部で,ひたすら,漕いでいました。何でこんな単純な作業なのに,こんなに長く,きつい練習をするのかと先輩に問うと,「ボートは脳で漕ぐんだ。だから一般的に偏差値の高いところが強い。脳と体の完璧なコーディネーションのためには,長期かつ充実した練習が必要なのだ。」と分かったような,分からないようなフレーズが異口同音にかえってきました。今から考えると,小泉信三先生イズムなのでしょうかね。

ボートもいいのですが(いいといっても,実は,これ以上つらいことがあるかというくらいつらいスポーツなんです),応援となると,その一体感といい,そのサイズといい,やっぱり,野球ですね。

慶早戦は,勝つと,楽しさ倍増です(終ったあとの最初の校歌が塾歌で,これが長いので早稲田には気の毒と,当時,思っていた記憶がよみがえります)。 今シーズンは東京六大学野球リーグ戦で2位に甘んじたものの,慶早戦には7シーズンぶりに勝ち点を挙げることができました。僕は医学部なので6年間在籍し,その間,3回のリーグ優勝があり,いずれも神宮から三田までの提灯(ちょうちん)行列に参加し,まず三田山上で気勢を上げ,続いて皆で銀座へ繰り出して酒を酌み,放歌したものでした。ですから,一般の方はこのような輩からの迷惑行為を嫌って,当時,慶早戦で塾が勝つと銀座の,早稲田が勝つと新宿の人通りが減ったといわれていました。

例の,慶早6連戦があったのも僕の学生時代最後の頃です。医学部ですから,信濃町キャンパスに通っており,そこから徒歩5分で神宮球場なので,6戦,すべて応援に駆けつけました。結局,負けましたが,すばらしい想い出です。でも,教員になった今,当時の長期休講による被害は甚大であっただろうなと寒くなっています。

翻って,現在,我が看護医療学部3年生は,1年間,信濃町キャンパスで過ごします。僕は授業のたびに彼女ら・彼らにリーグ戦の戦況を伝え,応援に行くことを勧め,彼女ら・彼らはそれを実行してくれました。この応援が,2位・早稲田に勝ち点という久々の快挙につながったものと自負しています。

スポーツ専門学部を持たず,入学時の体育会推薦制度もきわめて薄い塾が,このような成績を今後も上げていくことは,本当に大変なことですね。小泉先生,何とかお助けを。(了)

(掲載日:2004/06/10)

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