MENU
Magazine
2004.07.21

首长的暑假|小岛朋之(综合政策学部长)

(今号は、各おかしらの得意な言語で「おかしらの夏休み」をテーマに執筆をお願いしています。)

这几年,每到暑假,总要出国两次。这已成了惯例。一次是到中国东北的沈阳,在那里进行日中之间政策性的协调活动,主要是为改善环境而种植防风防沙林。另一次是到上海。每年9月我都要带学生去复旦大学,与复旦大学的学生一起召开国际研讨会。

每次去复旦大学开研讨会,我的研究班里都有25名左右的本科生参加。在与中国学生进行激烈辩论的过程中,他们除了认清外部世界对日本认识的不同之外,还切实感受到日本将来只有在东亚才能求得发展。而且,学生们一起在异文化世界,互相看到了平时仅在SFC无法看到的一面,从而进一步加深了团结合作。召开国际研讨会就给他们提供了这样一个最好的机会。

尤其让我深有体会的是,2001年9月在复旦大学召开国际研讨会时的经历。在9月10日、11日这两天召开的研讨会闭幕后,我们与复旦大学的学生共进晚餐。晚餐会结束后,我离开学生回到下榻的宾馆,打开电视,映入眼帘的是飞机撞击纽约世贸大楼的画面。那是关于9.11事件的现场直播。随后,我的学生们给我打来电话,告诉我他们对此感到很不安,还担心回国的航班。当时,几乎所有的学生买的都是来回5万日元以下的便宜飞机票,其中多数订的是从美国起飞在上海转机去日本的航班。由于美国机场关闭,我们不知道飞机什么时候飞到上海,也不知道什么时候可以回国。

于是,我叫学生做好一时乘不了飞机的心理准备,并预订好一周两班的船票。幸运的是,在我的研究班里,有从中国过来的留学生,也有在中国留过学的学生。他们带头安排了这些事情。复旦大学的学生们也很担心我们,给了我们帮助。尽管最后美国机场很快就重新开放了,学生们也基本上按计划依次回国了,但由于共同度过了这段令人不安的时间,共同带着不安却克服了困难,我的学生与复旦大学学生之间的感情似乎更深了。其中,有一位从复旦大学来的学生,在SFC读博士,现在是汉语教学的“非常勤讲师”。

 

(日本語訳)

おかしらの夏休み

ここ数年、恒例となった夏休みの海外旅行が二つある。一つは中国東北の瀋陽で、防風・防砂の植林を中心に環境改善に向けた日中政策協調に取り組んでいる。いま一つが上海で、学部ゼミの「研究プロジェクト」が毎年9月に復旦大学の学生たちと国際合同ゼミを開催している。

後者は学部学生たち25名ほどが毎回参加し、中国の学生たちと激論を交わすなかで、外から見た異質な日本のイメージを確認するとともに、東アジアの中でしか生きていけない日本の将来を実感する絶好の場を提供している。さらに、学生たちにとってはともに異文化のなかで時間を共有することで、SFCではうかがえなかったお互いの一面を知り、いっそう絆を深める機会となっている。

とくにそう感じさせたのが、2001年9月の復旦大学との国際合同ゼミである。9月10日と11日の2日間の合同ゼミが閉幕し、復旦大学の学生たちとの夕食会も終わり、学生たちと別れて宿泊先のホテルに戻り、テレビをつけると画面一杯に映ったのがニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込む航空機であった。9月11日の米国同時多発テロの現場中継であった。それからすぐ学生たちから電話があり、帰国便を含めた対応で不安が広がっているとの連絡が入った。ほとんどの学生たちは往復5万円以下の安い切符を購入し、多くが米本土から上海への航空便であった。米本土の空港閉鎖のために、飛行機がいつ上海に飛んでくるか分からず、したがっていつ帰国できるかも分からない。

私が指示したのは、飛行機利用が当分できないことを想定して、週に2回就航している船便を予約しておくことであった。幸いにして、ゼミ生の中に中国からの留学生、中国留学の経験のある学生もいて、彼らが率先して対応してくれた。復旦大学の学生たちも心配して、協力してくれた。結果としては米本土の空港閉鎖もまもなく解除され、学生たちはほぼ予定通りに順次帰国できた。しかし、不安な時間を共有し、不安にともに対応することで、ゼミ生そして復旦大学の学生との絆はさらに深まったようだ。そのうちの一人がSFCの博士課程に留学し、いま中国語の非常勤講師をしてくれている。

(掲載日:2004/07/21)

→アーカイブ