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2005.05.13

今はむかし、昔はいま|熊坂賢次(環境情報学部長)

かばんの中身をみせろ、というおかしら日記事務局からの強圧的なお願いに、たまには素直に従おうと観念し、中身をみんな机の上に出してみた。X40は健全で、今も活躍している。かばんを持ち歩く理由のすべては、このパソコンがいつでもどこでも使えるからだ。完全に分身化しているから、これがないと何もできない。携帯とこれは、あきらかに今の僕の身体性の拡張であって、今の社会的な存在としての僕らしさを支える身体性そのものである。

それと対照的なのが、会議で配られる大量の紙の資料である。今日は、三田で重要な会議をいくつもこなした?ので、4センチぐらいの紙がかばんの中に収まっている。これは、明日になれば、かばんから抜け出し、僕とは無縁な物体として、部屋の片隅に消えていくことだろう。そんなものだ。

僕は、もう人生の半分以上を花粉症患者として悩んでいる。だからそれに関連した薬は必需品だ。今もフルナーゼ点鼻液の容器は、かばんの中の小さなポケットの中で、やや尖った頭を見せながら、使う?というアフォーダンスを投げかけてくる。いいやつだ。それに、忘れてはいけないのは痛み止めのロキソニンだ。腰痛があり、痛風があり、要するに身体はぼろぼろだから、痛みに襲われた時には救世主に変身する。頼もしいやつだ。

ポケットティシュー、名刺入れ、ボールペン、100円ライター、USBメモリースティック、KENT、鍵入れ、そして20年前から情報ボックスと勝手に名付けている小物入れがあった。

かばんかばんかばんかばんかばんかばんかばん

その中身は、印鑑、もう無用になったメモの残骸、ピンクのワニ、車の事故時の連絡先のメモ、そしてぼろぼろになった厄除けのお守り札であった。やはり情報ボックスの使命は、もう終わったようだ。

かばんかばんかばん

ぎんなんぎんなんぎんなん

そう思った瞬間、そこには、物体化し封じ込められた僕が潜んでいた。その存在を完全に忘れていただけに、一気に恥部が吐き出された気分になった。それは、もう50年も前に母親から持たされた銀杏のお守りで、当時は毎年新しいものに変えていたが、30年前あたりからは、面倒なのでそのままかばんのどこかにほっておいた。今思うと、3面の銀杏なんてあるのか分からないが、そこに書かれた文字と風格を帯びた銀杏を前に、なにかしら圧倒される宇宙を感じる。でも、それも、単純に歳をくったということなのだろう。

5月16日、"個人情報保護"部門長会議が、三田で、9時30分から開かれる。ありゃ。

…今回の原稿は、これで、いいだろう、と思ったら、『こぶし』が届いていた。孫福さんを追悼する本である。なんと、そこには僕がいない。理由は自明で、追悼文を事務局に送っていないからだ。でも、もう半年も前に書いていたのだ。なので、孫さん、ごめんなさい、ということで、一人追悼文集をおかしら日記番外編として無理やり勝手に創ることにした。

関係者のみなさん、ごめんなさい。

(掲載日:2005/05/13)

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