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2006.06.08

音楽英才教育の成果|冨田勝(環境情報学部長)

私の父は作曲家なので、幼少時にいやというほど音楽の英才教育を受けさせられた。3歳でピアノとバイオリンを習い始め、5歳でソルフェージュ(音楽を聴いて楽譜に書く)を学ばされるなど、親の期待はさぞや大きかったと思うが、結局開花せずに終わった。

失敗の原因は、私にクラシックピアノを習わせたことにある(と思っている)。クラシックピアノはアドリブが許されず、忠実に楽譜通り弾かなければならない。そして「ここは強く」とか「だんだん速く」とか「感情を込めて」とか、いちいち楽譜に指示が書いてある。大きなお世話だ。アドリブが許されるエレクトーンやジャズピアノを最初に習わせてくれれば、自由な創造力をかきたて、楽しみながらきっと才能を開花できたに違いない(と本人は信じている)。しかし親の期待を裏切る勇気がなく、我慢してクラシックピアノを続けたが、10歳になってとうとう我慢できずに私の英才教育は終わった。

これらの努力が一切無駄だった、というわけではない。10年後の学生時代、即興でギターやピアノの伴奏ができた私はとても重宝された。カラオケというものがなかった当時、宴会の席では「人間伴奏マシン」として貴重な存在だったのである。また、自身でも井上陽水やさだまさしの「弾き語り」が得意だった。だがその後、空前のカラオケブームが押し寄せ、これら特殊技能の出る幕はすっかりなくなってしまったのである。

私の研究室では忘年会で(百人規模の)大カラオケ大会をやるのが年中行事だ。ひとり一曲が限度であるが、私だけ特別に3曲まで唄うことが許されている。そして私がカラオケで熱唱するとき、いつも幼少時代と学生時代のあのほろ苦い想い出が脳裏をかすめるのである。

(掲載日:2006/06/08)

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