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2006.06.01

香港でのカラオケ|小島朋之(総合政策学部長)

今回のテーマは「おかしらと音楽」である。お得意の楽器、口ずさむ歌、思い出の曲など、音楽について書くことは多いはず、というのが編集部の意向である。たしかに、SFCにはクラシックではチェロを弾くだけでなく、演奏技術の向上を研究テーマにしてしまう古川康一先生(政策・メディア研究科)や、いまでもSFCのコンサートに打楽器で出演する平高史也先生(総合政策学部)、ロックでは2004年のHCD(ホームカミングデイ)でベースの演奏を披露した村井純先生(慶應義塾常任理事)や、いまもハードロックのコンサートを開く小熊英二先生(総合政策学部)、田中浩也先生(環境情報学部)などがいる。熊坂賢次先生(環境情報学部)も、学生時代はジャズバンドで活躍していたはずだ。

しかし、私は音楽が苦手だ。小さい頃に、習い事でバイオリンにするか、ソロバンにするかで、ソロバンを選んだほどだ。子供たちはいまでも暇なときにはピアノを弾き、家人もブラッシュアップのために再びピアノ・レッスンに通い始めている。私だけが、なんの楽器も触れられない。せめて歌うことだけでもと思うのだが、これもだめだ。謡曲は謡えても、カラオケに誘われて歌える歌を思いつかない。

それでも、カラオケで歌ったことがある。1997年7月1日未明の4時間連続のカラオケだ。この年6月30日に香港が「収回」(日本のメディアは「返還」とよんだが、中国側では英国に奪われた主権を「回収」したと考え、中国語で「収回」と書くのである)され、そのための式典が行われた。私も式典の衛星中継で解説を頼まれて、香港に滞在していた。6月30日夜にテレビ東京の特集番組に出演し、7月1日には突然空いた時間に同じく出演中のアグネス・チャンさんとシナリオなしのトークを30分近くやらされるなど、終日、NHK衛星放送の特番に出演した。

このとき、別の放送局の特番で渡辺利夫先生(現在、拓殖大学学長)も香港滞在中であった。式典終了後にご一緒しようと約束していた。中国に戻ってしまう香港を偲んで、2人静かに酒でも飲もうという趣旨であった。渡辺先生は慶應義塾出身で、学会や政府の審議会などでご一緒させていただく大先輩である。中国などにご一緒すると、堀内孝雄の歌を熱唱されるカラオケ好きである。「小島君、今夜は歌い抜きたい気分だね。“香港が中国になった日”を悼むにはそれしかないね」と言われた。香港は1974年から75年にかけて20歳代、最後の日々を過ごした曽遊の地で、思い入れもあり、私も香港慕情の気分で賛成し、ちょうど香港に駐在していた慶應義塾大学法学部の後輩で、三菱総研の宇佐美暁君に頼んでカラオケ店に連れていってもらった。

かつての香港を懐かしむということで、歌うことになったのはすべて故人となった歌手の歌ということにし、美空ひばりにはじまり、東海林太郎、ディック・ミネ、灰田勝彦、津村謙、並木路子、岡春夫などのヒットパレードである。歌うのは渡辺先生がほとんどであるが、こういう故人の歌であれば、どれも忘れてはおらず、私もときに割り込んで歌った。若い宇佐美君は呆れ顔で、黙って酒を飲んでいた。カラオケ店には我々以外には客もいず、「やがて悲しき」気分で店を出て、夜が明け始めた香港の街に戻った。2004年に久しぶりに訪れた香港の街で、カラオケを歌う気分にはもうなれなかった。

ちなみに冨田勝先生のチューリップの歌は絶品である。

(掲載日:2006/06/01)

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