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2005.10.17

面白半分、大歓迎。|冨田勝(環境情報学部長)

福澤諭吉は幼少時代から無類の酒好きだったことをご存知だろうか。月代を剃る時にいやがる諭吉を母が「あとで酒を飲ませてやるから」と言って静かにさせたという。この他にも、一万円札のあのカタイ表情からは想像もできないようなエピソードが沢山ある。殿様の名前の書いてある紙を踏んづけて兄に叱られた諭吉は、それならばと神様の名の書いてある紙で尻を拭いて便所に捨ててバチが当たるかためしてみる。何年もかけて勉強したオランダ語が役に立たないと知ると、すぐさま当時「邪道」だった英語を一から勉強し直す決意をする。幕府の初めての使節団がアメリカへ行くという話を聞いて、さっそく根回しをして家臣でもないのに同行させてもらう。渡米経験を生かして書いた「西洋事情」がベストセラーになったのにもかかわらず、出版社ばかりが儲けて著者の諭吉に金がはいらなかったことに腹を立てて、自分で出版社を設立してしまう、などなど。

諭吉は「世の中を軽く見ることが大切」と説いた。「私にはとても恐れ多くて」などと尻込みしたり、「お国のために」とか「私一世一代の」などと気張るとロクなことがないというわけである。諭吉は慶應義塾を創った時ですら、いつつぶれてもかまわないと思っていた、と福翁自伝の中で述べている。一見いい加減で無鉄砲に思えるその卓越した行動力こそが、福澤諭吉が日本を刷新した原動力であり、いたずら好きでユーモアに富んだそのキャラクターが、多くの門下生に愛され慕われてきた理由であろう。

面白そうだから試しにやってみる。やってみて面白かったらとことんやってみる。

研究プロジェクトも授業もキャンパスライフも、福澤諭吉はそんな面白半分な雰囲気をSFCに期待していると思う。

(掲載日:2005/10/17)

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