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2005.12.27

2005-2006|村井純(慶應義塾常任理事・環境情報学部教授)

2005年も暮れ2006年を迎えます。年の変わり目には当然ながら、「あれから何年たった」という話題が多いね。2005年はSFCにとっての15周年。これはこの「おかしら日記」でも話題になっていたな。私の専門にとっても、大きな節目でありながら、あまり人の話題に上らなかったことがある。そう、電気通信事業法の施行の1985年から20年たったこと。1984年、塾を卒業して東京工業大学に就職した私は、ゲリラ的に東工大と矢上のコンピュータを繋いでいて、電電公社が民営化された翌年1985年から一気に全国の大学を繋ぎはじめた。これがJUNET(Japan University NETwork)ね。全国を繋ぐネットワークというと、どうしても北海道と九州を繋ぎたくて、それぞれの拠点にいる先輩達を口説いて繋いでもらった。北海道は、文学部に安西祐一郎先生がいたので、お願いしました。今思うと、「まったくわけがわからない」と、学会でも理工学部でも評価すらされていなかったコンピュータネットワークを、最初に文学部で繋いだ総合大学は当時としてはすごいことだったと思う。

あれから20年、コンピュータネットワークは社会の基盤になり、もはや、「コンピュータネットワーク」ですらなくなった感がある。「インターネット」という言葉が年の瀬の流行語大賞を受賞したのが10年後の1995年。あれから10年たって、ようやく誰もが「コンピュータ」じゃなくて、ケータイや家電でも、なんでも繋がるという認識ができてきたね。そうなったら、今度は「インターネット」という言葉が別の意味になっちゃった。電話会社が「オールIP化」と宣言しちゃったのも2005年だけど、一方では、いまだに「インターネットは無法地帯」なんて平気で書いているマスコミの記事がある。一部の掲示板や、インターネットオークションの一部などを指しているのかもしれないけれど、言葉も気をつけてないとどんどん曲げられちゃう。

社会や経済に大きな影響を与えるオリンピックがもうすぐ開催されるけど、インターネット、デジタルコミュニケーションの世界でも、新しい節目に大きな影響があるのはオリンピックですね。テレビ映像のさまざまな技術も、WWWが商用化したのも、cookieを使うマーケッティングができたのも、オリンピックを機会に実用化された物が多い。アトランタオリンピックや長野オリンピックはオリンピックのサーバそのものが、SFCに設置されていたことは知らない人も多いかもしれないけど、その歴史の節目にSFCが参加しているのは決して偶然ではない。2006年のオリンピックでも、それをきっかけにデジタルテクノロジ、メディアとコミュニケーションなど、大きく変わり続ける。これからもSFCや慶應義塾から生まれた新しい挑戦がどんどんリードしていくことを願っている。

節目といえば、2005年は慶應義塾創立150年記念事業への出発の年だった。アジアでは未踏の年齢になる記念事業だから、新しい挑戦をする人々のためにも、我々が先陣を切って勇気や力が与えられるようにしないとね。

(掲載日:2005/12/27)

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