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2007.01.11

おかしらとパソコン、初めての出会い|大西祥平(健康マネジメント研究科委員長)

コンピュータの勉強をする時間があるなら臨床の勉強をしろ。そんな暇はないだろ。

私が医学部を昭和52年に卒業しましたが、その翌年であったと思います。内科呼吸循環器科の笹本浩教授が退官されたときの記念品がカシオのポケコンでした。この頃の四則演算のための計算機は非常に大きなものであった時代でしたが、このポケコンはベーシックプログラムが走るため、平均値や標準偏差、そして平均値の差の検定のプログラムなどを手入力し、研究でのデータ整理に嬉々として活用しておりました。その当時は画期的だと思っていました。また同時期にNECのPC6001が発売され、CPMやMSDOSといったOSの上で古典的な松というワープロを使っていましたが、原稿用紙に書いた方がずっと早く、効率的でした。

卒業4年後、内科呼吸循環器科の教室に入室しました。心臓カテーテル検査といって、股間の動脈からカテーテルという管を挿入し、それを心臓まで運び心臓の大きさや動きそして心臓の表面の血管の具合をみる検査を私自身が専門領域として選択しました。その時の指導者が今の常任理事であります山崎元先生でした。私はこのカテーテル検査で得られた様々な情報を整理するためにデータベースづくりをしなければならないと考え、山崎先生のボスでありました半田俊之介先生から指示を頂き、池袋のサンシャインビルのDECという会社のミニコンのOSとフォートランの言語を学びに通い始めました。臨床の忙しい合間をぬってのことでありましたが、臨床が疎かになったのでしょう。山崎先生にコンピュータをいじっている暇があるのだったら臨床を勉強しろと怒られました。このことは今では笑い話になっております。

なぜかと云いますとコンピュータのことは私が山崎先生の教師であるからです。

(掲載日:2007/01/11)

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