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2008.03.06

自制している中でのちょっとした楽しみ|金子郁容(政策・メディア研究科委員長)

さる2月17日、東京マラソンを走った。昨年は、気温4度でずっと氷雨ということでかなりきつかったが、今年は、天気もよく、練習のときと同じペースで4 時間32分で42.195キロを完走でき、私としては大いに満足だった。普段は絶対に走れない、飯田橋交差点、日比谷通り、銀座四丁目の和光の前、雷門前など都心を三万人の市民ランナーたちと一緒に走り抜ける。これは、“大きなしあわせ”の方だ。練習の過程で、いくつかの小さなしあわせがある。

私は、しょっちゅう風邪をひくなど体力には自信がないし、運動神経もない。だから、本番までにかなり練習をする。年度末の忙しいスケジュールの中をかいくぐって練習時間を確保するという綱渡りが、まず、ひとつの小さな楽しみだ。この時期は屋外では花粉が飛び交っているので、練習はもっぱらジムの中。トレッドミルで、その場で、ひとりで一時間以上も走る。自分でも、「オレってオタクだな」と思う。その感じがちょっと楽しい。

“ランナーズハイ“なのかどうか分からないが、一時間以上走っていると、いい感じになり、ジムの中にいることを忘れ、時空間をさまよっているような感覚になる。そして、なにより、その後のシャワー。これらも、ちょっとしたしあわせなひとときである。

最近の日本の子どもたちは、なんでも溢れている中で生まれ、育っている。しあわせそうでいて、どうなのかなと思う。子どもの数が少ないので、周りからかなり甘やかされている。家の近くのコンビニの前の道で中学生たちがたむろしてカップラーメンを食べているのを見るにつけ、「日本の将来はどうなっちゃうのだ」と、つい、叫びたくなる。年寄りの文句のようになってしまうが、なんでも自由でなんでもできる中では、大きなしあわせも小さなしあわせも見つけにくいのではないか。他にしたいことは極力抑えて、もくもくと、ひとりで、ジムで走るという、自制のなかでこそ、小さなしあわせが感じられるのではないかと思う。

(掲載日:2008/03/06)

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