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2009.12.17

諸人こぞりて|阿川尚之(SFC担当常任理事)

先週金曜日の夕方、あわただしく荷造りをして京都へ向かった。翌土曜日の朝から同志社大学法学部大学院でアメリカ憲法の集中講義を行うためである。十二月に入って日の入りが早い。新横浜で乗車したN700系「のぞみ」が関ヶ原を抜け京都へ定刻に到着したころ、都の空はすでに暗かった。地下鉄に乗り換え烏丸今出川で下車。地上に出て今出川通りを東へ少し歩き、冷泉家の前を通り抜けて同志社の正門と御所の今出川御門に面した角を左に曲がる。宿を借りる同志社アーモスト館は、もうすぐそこである。

部屋に荷物を置いて再び外へ出た。まだ食事を取っていない。烏丸今出川の交差点を西へ入ったところにある、なじみのうどん屋で、衣笠丼を食べよう。衣笠丼というのは、油揚げと卵をまぜて味付けして、温かいご飯の上に乗せたおどんぶりである。山椒をかけると余計おいしい。思ったほど寒くない久しぶりの京都に、心がはずむ。

アーモスト館から同志社の東門を入り、今出川校地を抜けて店へ向かった。同志社重要文化財の一つクラーク館の横を回って校地の中心に出たその時、西門前の大きな木に施した電飾が視界に飛び込んできた。暗い空に光のクリスマスツリーがそびえる。そうだ、もうすぐクリスマスだ。

キリスト教徒の家庭に育ったわけではないのに、幼いころからキリスト教とクリスマスは身近である。幼稚園ではクリスマスのときにキリスト降誕の劇をやらされ、小学生のころには近所に住む信者の家庭の友達に誘われときどき日曜学校に行った。「エスさま、エスさま、私たちを、あなたの良い子にしてください」という歌を、わけもわからず歌った。

中学生のとき大病をして長く入院したのは、セブンスデイ・アドベンチストというプロテスタントの一会派が経営する病院である。ユダヤ教のように土曜日を安息日と定め、豚は食べないという少々変わった宗派であったけれど、医師も看護婦さんも親切で心のこもった医療と看護を受けた。病気であっても好奇心は活発な中学生の生意気盛り。ときどき見舞ってくれる牧師さんや看護婦さんを相手に、「神様なんていない」と議論を吹っ掛けていたのに、気がつくとずいぶん影響を受けていた。今でもほとんど豚肉を食べないのは、この教会の影響であるらしい。

塾高から塾法学部政治学科と、およそキリスト教には縁のない学校生活を送ったあと、大学3年の夏から2年間留学したワシントンのジョージタウン大学はカトリック教会のなかでも学問の伝統が強いイエズス会の学校である。学生にもカトリックの家庭出身者が多い。ルームメートのチャーリーが熱心なアイリッシュのカトリック信者で、彼に連れられ何度か真夜中のミサに出た。キャンパスの片隅にある小さな礼拝堂で、みな無言で祈りをささげる。チャーリーはその後修道院に入ったと聞く。クリスマスイブにはケネディー兄弟が通った大学近くの教会でクリスマスキャロルを歌い、卒業式の前にもミサがあって仲間と一緒に参列した。神父が「どんなことがあっても、知らせはとてもよい」という説教をした。

さらに結婚して間借りをした横浜の家の大家さんが山手聖公会教会の信者さんで、クリスマスには一緒に礼拝へでかけた。ワシントンでロイヤーとして働いたときには、子供が通った私立学校がナショナル・キャシドラルに付属する聖公会の学校であった。大きなイギリス風の聖堂で卒業式やらイースター、クリスマスなど学校の主要行事が催され、その前後には必ず礼拝があり賛美歌を歌った。

日本へ帰って二男を入れてもらった近所の幼稚園もプロテスタントの教会付属であった。入園の際毎週土曜日親子で教会へ通うことという条件があり、春夏秋冬一年間まだ小さい息子と二人で通った。子供向けの礼拝そのものはあまり面白くなかったので、毎週旧約聖書創世記を一人で読んでいたら、卒園式のとき園長先生から「阿川君のお父さんは熱心に聖書を読んでおられた」と褒められた。本当はエジプトにさらわれたヨセフが遭遇した人類史上初のセクハラに関する記述などを、興味津津追っていたのだが。

当時たまたまカソリックの雑誌から原稿を頼まれ、九州弁でざっくばらんに話をする修道女の編集長から「阿川さん、はやくカソリックに入信しなさい」と熱心に勧められたこともある。まだ返事をしていない。ワシントンの大使館で働いていたときには、大学時代の別のルームメートの家にクリスマスが近い頃毎年訪れ、凍てつく空気のなか、ご近所のみなさんとクリスマスキャロルを歌って町内を練り歩いた。

そんなわけで信者ではないものの、キリスト教には親しみを感じる。4年前横浜へ戻ってきて以来、山手の聖公会教会にバザーとクリスマスイブの礼拝だけは、なるべく行くようにしている。教会のなかで、クリスマスキャロルを大きな声で歌うのが何より楽しい。

「諸人こぞりて、迎え奉れ、久しく待ちにし、主は来ませり」

幼稚園の降誕祭以来、クリスマス礼拝の最後に必ず歌うこの賛美歌、英語の歌詞は

"Joy to the world! The Lord is come, let earth receive her king."

である。2000年と少し前、はたして神の子である救い主が本当にこの地上に降り立ったのかどうか私にはわからないが、どんなに周りが暗く、どんなに毎日つらいことが多くても、希望がある。喜ぶべきことがある。一年に一度、クリスマスイブの教会で少し神様のことを考える。

光に満ちたクリスマスツリーが立つ同志社と比べ、慶應にはこの時期クリスマスらしいものは何もない。クリスマスが好きな私は、ちょっとさびしく思う。福澤先生は特定の信仰をもっていなかったようで、一切宗教を学校に持ち込まなかった。しかし自分自身のことはともかく、『福翁自伝』のなかで「仏法にても耶蘇教にても孰れにても宜しい、これを引き立てて多数の民心を和らげるようにすること」を「出来(でか)してみたい」ことの一つに挙げている。そんな先生だから、クリスマスも別にお嫌いではなかろう。

鳩山政権の日米安保政策、小沢幹事長の中国べったり政策、一向に改善の兆しがない日本経済の現状など、けしからんこと心配なことはいろいろあるけれども、そんなことはしばらく忘れ、SFCでもみんなで集まってクリスマスキャロルを歌えたら楽しいと思う。

だからみなさん、「メリークリスマス」(注)。みなさんにこれからたくさんいいことがありますように。よい新年を迎えられますように。

(注:もちろんメリークリスマスがいやだ嫌いだという人もいるでしょうから、その人たちには、それぞれの宗教のしきたりに従って、あるいは別の言葉で、あなたの平安を祈ります)

(掲載日:2009/12/17)