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Magazine
2009.09.17

大学時代の恩師|金子郁容(政策・メディア研究科委員長)

日本で初の「本格的工学系」首相の誕生ということで新聞やテレビが賑やかである。「鳩山総理誕生」のニュースに便乗する形で、久しぶりで「オペレーションズリサーチ」が話題になって、私としてはうれしい限りである。私は、鳩山由紀夫さんと一緒の時期にスタンフォードのDepartment of Operations ResearchでPh.D.をとったのであるが、スタンフォード卒業後、十数年応用数学を専門としたこれまでの私の学者としての基礎と動機は、ひとえに慶應大学工学部で出会ったふたりの恩師によって培われたものである。

塾高では英語会の活動だけに熱心で、勉強の方は特に何に関心をもつということはなかった。当時、新しい分野として登場したての管理工学が目新しいということだけで工学部に進んだ。それが、三年生のときに西野寿一先生に出会って急に数学が好きになった。西野先生は、ばりばりの数学者で当時はやりのスカーフやアローによる斬新な自由市場理論構築の研究をしていた。お兄さんのような感じで、かっこよかった。トポロジーの初歩を「徒弟制度」のように一対一で教えてもらった。数学をまじめに学ぶのは、その時初めての私であるが、真剣に向き合ってくれた。数学の証明については、専門家でも学生でもある意味で、証明の「美しさ」で「勝負」ができる。例題を一緒に解く「競争」をして、ほんのたまにではあるが、私が"勝った"。今思えば、「負けてくれた」のだと思う。とてもうれしかったものだ。

四年生になったとき、慶應が理工学部を作って数理部門を創設する中心のひとりになった河田龍夫さんがアメリカのカソリック大学から慶應にやってきて、関数解析の授業を教えた。その授業を受講するという幸運に巡り合った。解析の英語の教科書に河田さんが証明した定理が載っているのであるからかっこよかった。数学については、西野さんによるトレーニングを受けて、ある程度の自信をつけていた私は、河田さんに鼻っ柱をくじかれた。学期中に何回も宿題が出た。最初の答案には「これで大学レベルの数学をやっているとは信じられない、基本からやり直せ」と朱書きしてあった。毎回、答案用紙が真っ赤になるくらいメモや注意事項を書き込んでくれた。それに奮起して、授業が終わるころには、少しは褒めてもらえるようになった。その後、日米の大学で教員になった私は、できるだけ学生の答案や論文ドラフトにコメントを書いて返却するようにしている。河田さんを真似しているのである。

(掲載日:2009/09/17)