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2009.12.10

おかしらの好きな街:三都物語―仙台・名古屋・博多|高木安雄(健康マネジメント研究科委員長)

大学時代は社会学を専門に学んだこともあって、今でもいろんな都市や農村を歩くのは大好きであり、今回もどの街を取り上げるか、随分悩まされた。東京・神田の古本屋街やニューヨークのダウンタウンなどもいろんな思い出があるが、今回は大人しく大学教員として単身赴任した三つの都市を取り上げることにする。

仙台は杜の都として、新緑の季節や冬の枯葉の時期の美しさが強調されるが、東北の都を感じたのは「やませ」の吹いたある夏だった。太陽は高く輝いていても風だけが冷たい不思議な体験であり、後から分かったがその年は冷害であり、米の不作が話題となった。4年の滞在で1回だけの体験だが、江戸時代には3年に1回、冷害=飢饉に見舞われ、10〜30年に1回、大きな飢饉があったという。東北のきびしさは今も変わらない。

名古屋は東海道の中心地であり、赴任していた2000年は名古屋発の少年犯罪や児童虐待が全国紙を賑わせた。その要因を考えているなかで、「来たりびと」の言葉に出会った。多くの工場を抱えた名古屋地区には全国いろんな地域から働く人が流入するが、農業を中心とする従来の地域の人々とは交流することもなく、ふるさと遠くはなれた夫婦二人が地域や親の支援もなく子育てに頑張る姿が浮かび上がってきた。都会と田舎の相乗効果が名古屋のエネルギー源であり、東北を舞台とした「おくりびと」が流行った分だけ、「来たりびと」は懐かしい言葉だ。

博多は九州の玄関であるとともに、アジアへの玄関である。昔は門司、下関がそれぞれの玄関であったが(門司港駅の立派さを見よ)、飛行機の時代となってその座は取って代わられた。船も高速艇は釜山・博多間に就航しており、活気溢れる街であった。私の研究室で北大経済研究科の大学院生を半年、預かることになり、3月末に戻るときにその感想を聞いたら、「教科書に載ってる地名が沢山あった」と述懐していた。北海道が歴史の教科書に出てくるのは明治以降が多く、生まれも育ちも北海道の彼女にとって新鮮であったにちがいない。ちなみに彼女の研究テーマは、炭鉱地区の医療施設の整備であり、九州の炭鉱閉鎖に伴い多くの労働者が北海道に移住していったことにつなげたのである。産業化・文明化の早い九州は、「社会のアカ」もそれだけ早く堆積するのである。

都市は古今東西、富と貧困の集積地であり、3つの都市の顔はそれぞれ美しい思い出となっている。

(掲載日:2009/12/10)