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2010.12.06

げげげ|村井純(環境情報学部長)

わが街は映画のスタジオがいくつかある街で、今年大きなスタジオが閉鎖された。これは景気とは関係ないと信じたい。日本映画は世界でも好調だもの。

スタジオの街だから、昔はあちこちの街角でよく映画やテレビのロケをしていた。あの頃、今の学生には「20世紀少年」の時代のちょっと前、(良く考えてみるとあの舞台より10年ぐらい前だ、恐ろしい)「3丁目の夕日」の映画のちょっと後ぐらいだと説明すべき時代。とにかく、俳優や監督が多く住む街に住んでいると、よく羨ましがられたりする。が、実はあまり羨ましくない。その理由、当時青少年に言えなかったことがそろそろ言えるので、忘れる前に経験を書いておこう。

ミラクルボイス(注)でブラックデビル(注)を倒す正義の味方(注)少年ジェット(注)はシェーンという賢いシェパード犬と一緒に沢山の回の撮影を私の家の前でやっていた。少年ジェットは黄色いマフラー(画面は白黒だったけれど)なびかせて、さっそうとスクーターで走り、シェーンが付いてくるってイメージなのだけど、当時は、撮影班は年功序列で子供タレントとかいない。ジェット役の俳優さんは一座で一番若い。つまり私が家で留守番していると、「やかんに水をくださーぃ」と頼みに来るのも正義の味方、黄色いマフラーのジェット。監督の赤青えんぴつ(注)をボンナイフ(注)で、どぶ(注、面倒くさいので以下知らない固有名詞、古典名詞、並びにフレーズは全部文末の(注)参照してください)の脇にしゃがみ込んで削っていたのは黄色いマフラーなびかせていた少年ジェット。しかも一座で一番威張っているのはシェーン!「明るく元気で正しい心、少年ジェットは今日も行く」ってジェットの実体を私は知ってしまっていた。羨ましくない。

また、我が家の庭で忍者部隊月光の撮影をしたことも何度かある。ある回のシーン1は木陰に隠れるところ。シーン2は手裏剣を投げ、マンホールから綱を伝って逃げる敵の綱を切るところ。このシーン1で隠れるところに蜂の巣があるのを私(小学校低学年)は良く知っていた(自分の庭だから当たり前)のだけど、隠れた月光、銀月以下、忍者部隊はしばらくしてそれに気が付き悲鳴を上げ全員逃げ出す。黒メガネの監督が「しょうがねーな」ともぎとって捨てた蜂の巣。怯えつつ、元の位置に戻りちょっと心配した後に、気を取り直し、きっとポーズを取る忍者部隊。シーン2の忍者部隊が投げた手裏剣はみんな道にばらばらにころがった。次にスタッフが綱の「より」を戻して手裏剣をねじ込んだシーンをカメラはじっと撮っていた。後でテレビを見たら、シュシュシュと投げた手裏剣が、カッカッカッとロープに刺さっていた。「ばか、我々は忍者部隊だ」との付き合いもちょっと他の子供と別だったのかも。要するに夢が壊れちゃ羨ましくない。(この手の話、ゴジラもバルタン星人もモスラもカネゴンもあるけど、また次の機会。)

街で会う大人の俳優に関しては私はあまりよく知らなくて宝の持ち腐れなのでこれも羨ましくない。子供のころ通っていた街の床屋では、隣に座るおっかないおじさんにドスの利いた声で、「坊主、マンガばっかり読んでると偉くなれないぞ。」とよく怒られていた。床屋に行ってこのおっさんと会うのがいやで、外から覗いて居ないのを確かめてから入ったりしていた。あとから、そのおっかないおじさんは三船敏郎という有名な俳優だと聞いた。

ところで、三船のおじさんがどんなにおっかなくても、私にはその床屋でマンガを読まなくてはならない重要な理由があった。スタジオと大学だけで成り立つ我が街には、おもちゃ屋も、駄菓子屋も、貸本屋もない。ただし、この床屋に行くと、貸本のマンガが入れ替わりおいてあった。どこかで借りてきて、返すまで待合室においてあったんだと思う。さいとうたかを、影丸譲也、などの大人っぽいハードボイルドマンガ(劇画のはしり)はあまり興味なかったけど、それに混ざってちょっと不思議で不気味な、かっぱや妖怪のマンガがあってそれがなにより好きだった。この街にいてよかったのは、そのあこがれの著者が片手で自転車に乗っていたことをときどき見かけたことかな。

それからずっと後、ごく最近、荒俣宏さんが30年探していた本をインターネットで見つけたことをインターネットに感謝をするというご褒美に、そのあこがれの先生の家に連れていってくれた。父と同じ大正11年生まれ。墓場から戦場まで何時間も語ってくれた夢の時間が持てたのは、生まれた街のおかげじゃない。そうじゃなくて、私がSFCで自分の好きなことやってきたから。

(注)インターネットで検索してくれ。

(掲載日:2010/12/06)