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2010.10.04

秋の入学式|國領二郎(総合政策学部長)

学部長としての9月の一連のセレモニーは卒業式から始まった。SFCはセメスター制を採用していて、9月に入学したり、卒業したりする学生がいるので、そんなスケジュールとなる。春秋2回、入学があるシステムは、教職員にとっては入学式、卒業式、入学試験などの一連の行事を年に2回やらなければいけないなどかなり手間がかかる仕組みだ(たとえば私自身も入学直後の新入生向けに行っている学部長直轄の導入授業を春学期と秋学期の年に2回やらねばならない)。それでも大いに意義を感じて続けているのは、9月入学・卒業を可能にすることで、海外から留学生や帰国生が来やすくなる効果があって、SFCを世界に開かれたキャンパスにする上で重要な役割を果たしているからだ。そして海外からだけでなく、日本国内からも学生が入ってきて、キャンパスに多様性の彩りを加えてくれる。

多様性をどれくらい活力に結び付けられるか、というのはSFCだけではなくて日本全体にとっての課題と言っていいように思う。戦後の日本は相対的に均質性の高い社会を背景に、あうんの呼吸でものごとを進めてこられた社会と言っていいだろう。何をやらなければいけないかがある程度はっきり見えている時は、それが効率的だった。リーダーも全体の調和を大切にしながら、発生する細かな問題に対処しながら先に進めばよい。そんな文化の中では、人と違うことをやる人間は、和を乱すものとして危険視されがちだ。だから、処世術としてもなるべく目立たないように、人と同じにしているのが正しい。

しかし、今の時代のように変化が大きくて先が見えない時には、むしろそれまでの常識にとらわれない異才の活躍が期待される。

異才を育て、活かすという意味で、SFCは日本の中ではよく出来てきた方なのだろうと思う。「常識がない」と世間からおしかりをいただくような学生に対しても、常識の殻を破って、自ら考えて、自らの責任において行動に移すことを奨励しつづけきた。それが、すっかり文化として根付いている。これをやるには、教職員も時に異才が巻き起こす、さまざまなハプニングに対応できる力量とつきあう根気が必要で、これまた大変なのだが、活躍している卒業生がキャンパスに里帰りして、「卒業して学生時代SFCでなければ潰されていただろうと改めて思う」などと言ってくれると、苦労が吹き飛ぶ。

でも現状に満足してはいけないと思う。創設20周年を迎えて、事なかれの守りに入ってしまう誘惑は大きいからだ。先端は常に異端だと再認識して、多様性の中から異才が生まれ、育つ環境をさらに進化させていきたい。9月入学者諸君、少数派で苦労あるかもしれないが、SFCにはびっくりするほどいろいろな資源と、挑戦を許容する文化がある。とことん使い倒して大いに羽ばたいてほしい。

(掲載日:2010/10/04)