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2010.10.12

もう一つのノーベル賞|村井純(環境情報学部長)

2010年10月6日は今年のノーベル化学賞を受賞した北海道大学の鈴木章名誉教授と米パデュー大学の根岸英一特別教授のニュースで沸き返っていた。ノーベル賞の発表は午後6時で、日本の午後7時のニュースは準備もそこそこな慌ただしい報道が、ニュース性の高さを物語っていた。実はその時に私は不思議な連絡を受けた。10月7日の文学賞に続き、10月8日の日本時間午後6時にノーベル平和賞が発表されるので、午後7時のニュースのために待機できないかということだった。下馬評としてノーベル平和賞は、中国の民主活動家、劉暁波氏が候補だとしか聞いていなかったので、この依頼は寝耳に水だった。ノーベル平和賞は、全世界的な平和に貢献した人や組織に与えられる賞であり、とりわけ近年は、戦争の終結、人権や環境への貢献が評価され、受賞の理由となっていると思っていた。劉暁波氏の受賞は、1991年の同賞をアウンサンスーチーさんが受賞したように、政治的人権論のメッセージだと思っていたので、私が出る幕は無いだろうと思ったからだ。

ノーベル賞の選考プロセスは一般的に50年間は公開されず、候補者の「下馬評」が流通することも少ないと思うのだけれど、他の賞がスエーデンで、平和賞がノルウェーであることを見ても、どうも平和賞は様子が違うらしい。先程の連絡は、報道関係者からで、今年は237人の候補があり、その中にVint Cerf、Tim Berners-Lee、Larry Roberts、の3名の名前があると言う。

Vint Cerfは、ARPANETの最初のプロジェクトの研究グループのリーダーで、インターネットのプロトコル構造の根幹を成す、TCP/IPの提唱者と言われている。(私が「提唱者」とか「言われている」という曖昧なことをいうのも無責任なのだが、実はこの設計当初の議論は当然グループで行っていて、そのすべての顔ぶれはVintを「インターネットの生みの親」として掲げることに慣れているので問題はない。)もちろん、何度かSFCでの授業もやってくれていて、今はGoogle社の「インターネットエヴァンジェリスト」という肩書きで大活躍している。

Tim Berners-Leeは、SFCには更に馴染みの深い英国研究者で、スイスのCERNという高エネルギー物理学研究所に所属していた時にWWWを作り出し、その標準グループをMITとSFCとInriaというフランスの国立研究所(現在はERCIM)でグローバルに展開した人物だ。今でもHTMLなどのWEBテクノロジーのエバンジェリストとして大活躍中。

Larry Robertsは、この二人よりはちょっと先輩で、インターネットプロトコルが拠り所としたパケット通信技術の生みの親として知られている人物だ。

さて、どうも、この3人が237人に含まれているということが情報として流通したために、もし、ノーベル平和賞をこの3人か、この3人のうちのどれかが受賞したら取材に応じて欲しいというのが例の報道関係者のリクエストであった。それならばわかる。3人とも面識があり、時々会ったり議論を続けたりしている仲間でもある。だけど、なぜノーベル平和賞なんだ?

いろいろ調べてみると、要するに「インターネット」の発明者(Vintはインターネットのプロトコル、TimはWWW、Larryはパケット通信)を並べて、「インターネット」そのものに受賞するという説と、3人並べて、「インターネット」をメッセージとするという説がある。古い仲間たちの間では、この2、3日は大騒ぎ!あのときVintと一緒にやっていたあいつの立場はどうなるんだという内輪の話から、「インターネットは私が作った」発言で(冗談としか受け止められなかったけど)有名になった、アル・ゴア元副大統領(2007年のノーベル平和賞を環境で受けている)が再受賞するのではないか、という話まで、だんだん本当にノーベル平和賞はインターネットが受けるんじゃないかという話に(あくまで、内輪では)なっていた。

ところで、科学技術の成果のインターネットがなんで平和賞なの?という疑問は解けていず、結果としてグローバルな人の輪を作ったからだとか、そもそも、環境のスマートグリッドはインターネットがなければ成立しないだとか、こちらも、真面目なのかジョークなのかわからない話ばかり。もちろん私はインターネットは人類を平和にする、という誰にも負けない自負と自信は持っているから、どんなインタビューでもどんとこい、というつもりで10月6日午後6時の発表を待った。

そして、いよいよ6時のニュース。
なにごともなかったように、それは劉暁波氏の受賞を告げた。

人権の課題はもちろんあり、新しい国際政治の強い背景もある。それゆえに、政治取引として、「インターネット」の受賞が用意されていたのではないかという意見もあった。

ただ、受賞のきっかけとなった「08憲章」は、2008年12月に中国立憲百年、「世界人権宣言」公布60周年などを機に氏がインターネット上で発表した憲章であり、賛同する者のインターネット上での署名運動でもある。歴史上のどの人権運動と比べても、ネット時代の新しい方法で人権運動をした、その行動が対象となったのは事実である。

冴え渡る科学者の頭脳で作ったインターネットだから、科学賞だ、と(ジョーク半分だけど)いきまいていた当時を知るVintの仲間たちも、今は素直に、そうしてできたグローバル社会で新しい夢や願いが挑戦されて実現されていて、そのためにやってきたことなんだ、という雰囲気になっている。ノーベル科学賞も経済学賞も医学賞も文学賞もよく考えると人が世界に貢献できるかという相互の関係がある。未来を、グローバル社会を創る、ってことで、いろんなことが光を浴びることがあるってことだ。ああこの雰囲気、とてもSFC。

(掲載日:2010/10/12)