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2011.10.11

嵐のあとで|阿川尚之(SFC担当常任理事)

久しぶりでSFCに泊まった。昨夜までの強い雨と風はどこかへ消え、秋らしい秋の青空が広がる。幾本もの筋雲が平行線を描き、それを間切るように米海軍のC2輸送機が、爆音を響かせながら飛ぶ。

「福澤諭吉と現代」の授業を終えたあと、昨夜遅くまで「福澤諭吉と現代2」を履修する学生諸君とSFCの数々の謎について議論した。なぜ朝会ったばかりなのに「おつかれ」と挨拶するのか。なぜSFC生は残留したことを自慢するのか。なぜSFCの女子は女子だけで群れないのか。なぜSFC生は日吉の学生が持ち歩くビニールのケースを持たないのか。カモ池のカモはどこから来たのか。

今朝はサブウェイに再度集まり、朝食を共にしている。眼下にカモ池が広がる。慶應義塾広しといえども、これほど美しい景観をもつキャンパスは、他にあるまい。

気がつくと、すぐ外にカモが5羽ほど集まり、よちよち歩きながらグァ、クァと鳴いている。以前よりずいぶん太ったようだ。ほどなく事務室の樽谷さんがやってきて餌をやり始めた。なるほどカモ君たちは、毎朝この時間この場所に来れば餌にありつけるのを知っている。食べかけのサンドイッチをテーブルに置いたまま、外に出て見学する。「腰をかがめないと、逃げちゃうよ」と樽谷さん。ふと見上げると、サブウェイの屋上にSFC事務長の富山さんがいる。カモが好きで時々見に来る。SFCには隠れたカモ愛好家がずいぶんいるとのこと。彼らのことをカモタクと言う。

この5羽は、数年前有志によって放鳥された合鴨で、1羽1羽名前がついている。(謎が一つ解けた)。ただ、どのカモが何という名前だか、わからなくなっちゃった。確か1羽がヒカミン(氷上先生のグループが放鳥したから?)、もう1羽が南蛮(おいしそうだったから?)だと思うけれどと、富山さん。それなら、また新たに名前をつけよう。やや太めのカモはジュン、小柄なカモはジロー、いつでもどこにでも出没するカモはユビキタス。

「福澤諭吉と現代2」の授業では、講義のあと夜中まで議論をし、翌朝さらに議論をするのがならいだ。でもこんなに天気がよい朝、教室へ戻る気がしない。そうだみんなでキャンパスを一周しよう。一同の賛同を得てカモ池沿いを左周りに進み、タロー坂を上がる。池をはさんで生協食堂のちょうど逆側に、西脇順三郎の詩碑がある。

旅人は待てよ
このかすかな泉に
舌を濡らす前に
考へよ人生の旅人

「旅人かへらず」という詩の冒頭だ。詩碑にはないが、このあとすぐに

汝もまた岩間からしみ出た
水霊にすぎない

と続く。本当にそうだなあ。

この詩のことばを確かめようと思ってネットで探したら、西脇には別に、こんなことばもあった。

生きていることは
よく聞こえないものを聞くことだ
よく見えないものを見ることだ

詩碑の前に代わる代わる立ち、池の向こうに広がるキャンパスを見渡す。オメガの丸い建物が、この位置から見るとかわいい。葦を揺らして涼やかな風が水をわたり、朝のSFCは静寂に包まれていた。

周囲の林が陰をつくるタロー坂の歩道を歩み、ほどなくSFC中高の前に出る。入口から覗きこむと、まったく人影がない。今日は生徒全員が旅行に出ているとわかった。それなら中を見学させてもらおう。事務長の村松さんに断って、校舎内に入る。奥の扉を開けるや、完成したばかりの新館のバルコニーから、大学側で慣れ親しんだのとはまったく異なる豊かな田園の秋の景色が広がる。右手に丹沢の山裾が見えた。

中高からもう少し進んで左に折れると、車止めの少し先、右手に浅間神社がある。しばらく手入れがされていないようで、社殿の前に夏草の名残が茂る。総合政策学部長時代の正月元旦、当時の徳田環境情報学部長と一緒にお参りした。今年も優秀な学生さんが、大勢SFCにやってきますように。私自身はあんまり神仏の類は信じないので、10円玉を一個賽銭箱に投げいれただけ。10円玉はコロンと小さく音を立てて、中におさまった。少なかったかなあ。

周回道路に戻ると、すぐ目と鼻の先に生協がある。こんなに近いところに神社があることを、みんな意外に知らない。

デルタ館の横を通り、ラムダ館とアルファ館の裏の坂をゆっくりと降りる。SFCの木々は、そろそろ葉を落とし始めている。これらの木の多くはSFC開設の際、慶應の卒業生が寄付を集めて植えてくれた。未来のSFC生、そうあなたたちのために。

歩きながら、いろいろ話した。在日として育った自分が初めて韓国を訪れたときのC君の感慨。最近読んだ三島由紀夫の小説についてのKさんの感想。来年早々韓国と香港で学ぶというもう一人のKさんの抱負。私は若い諸君のそんな話をボチボチと聞きながら、こんなにのんびりするのは久しぶりだなあと思った。

ここに確かな今がある。そして私が若い諸君と同じぐらいの年齢だったころにも、やはり確かな今があった。

東大寺戒壇院近くの築地壁の通りで、新聞配達の女子学生に一部売ってくださいと頼んだら、「上げます」と言って私に新聞を手渡し、すぐ自転車で去った今。混み合った三田の学生食堂で片手に荷物、片手にトレイを持ちながら席を探しているうち、何かに躓いてトレイをひっくり返し、冷やし中華が空を飛んで見知らぬ女子学生のバスケットにすっぽり入った今。ほのかな好意を抱いた人が、あの日私に向かってほほ笑んだ今。まだ息子たちが小さかったころ家族で乗った客船がアラスカの沖で僚船とすれ違い、2隻の客船がお互いに太い汽笛を鳴らした今。

But that was once upon a time, very long ago. 

晴れ上がったSFCの空がにわかに暗くなり、つむじ風が私を巻き上げて、あのときの今に戻してくれる。そんなことは決してない。

But somehow once upon a time never comes again.

ようやくSFCを一周し、噴水の向かいの広場に出た。かたわらにSFCで奉職中亡くなった小島学部長と孫福教授をしのんで植えた木が立っている。この間の台風で付近の木がずいぶん倒れたのに、孫福さんの木は元気である。すっかり大きくなった。少し傾いたという小島先生の木も、空に向かって懸命に枝をのばしている。

学生諸君とは、ここでわかれた。この朝の確かな今が終わり、もう今ではない。あの今を、他の数々の今と一緒に、私の記憶の引き出しにしまおう。そしていつか忘れかけたころ取り出そう。

(掲載日:2011/10/11)