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ファブナースプロジェクト

政策・メディア研究科 修士課程1年 𠮷岡純希

所属プログラム:エクス・デザイン(XD)

看護師として働きながら気づいた「ものづくりの可能性」

 私は看護師として約5年間勤務した後に、政策・メディア研究科の修士課程に社会人として入学しました。現在、田中浩也研究室に所属し、ものづくりの研究をしています。特に、看護の分野でデジタルファブリケーションをどう活かしていくかを研究する『Fab Nurse(ファブナース)』というプロジェクトを中心に取り組んでいます。

大学院に入る前、私が勤務していた訪問看護ステーションと慶應義塾大学で共同研究をする機会がありました。3Dプリンタを医療の現場でどう使うかを検証するもので、私は訪問看護師として勤務しながら、その研究に関わっていました。
その時に感じたのは、看護の技術だけではどうしても解決し得ないこと、難しいなと考えていたことが、ものづくりのチカラで解決できることがあるということです。デザインやエンジニアリングのチカラでサポートすることによって、患者さんへのよりよいケアが提供できるのではないか、その分野の研究をより深めたいと感じて政策・メディア研究科への進学を決めました。

看護×デジタルファブリケーション『Fab Nurse』

 『Fab Nurse』というのは、"デジタルファブリケーション"というものづくりの技術を使って、看護の現場をよりよくするための研究プロジェクトです。
"デジタルファブリケーション"というのは、3Dプリンタなどを活用して個々のニーズにあわせて必要なものを必要な形でつくることができる技術です。それぞれの患者さんの病状や課題に寄り添うことが必要になる看護の現場で、この"個々にあわせてものをつくる"という技術を活用することで、よりよいサポートが提供できるのではないかと考えています。

近年、医療の領域全体では、3Dプリンタを活用した取り組みが増えつつあるのですが、看護の文脈でものづくりを行なっている事例はほとんどありません。『Fab Nurse』では、まずものづくりの技術を看護の現場でどのように利用していけるのかを考えるところからはじめ、その上で継続的に利用するための検証を行なっています。

患者さんの個々の症状に合わせたものづくり

 最初につくったのは、まだ訪問看護師として働いていたときに自分が担当していた患者さんのためのもので、文字を書くための"自助具"というサポートツールです。
その方は交通事故で首の神経を損傷したことで、車椅子の生活になり、腕を上げることはできるものの、手を握ることができず、ペンをしっかり持つことができませんでした。それまで使っていた既存の自助具では限界があり、しっかり強く文字を書くことが難しい状態でした。それが、3Dプリンタを利用して、その人にぴったりあわせたものをつくることで、よりしっかりと文字を書けるようになり、すごく喜んで頂けました。

文字を書くというのは、社会参加に直結することです。しっかり文字を書けないと、重要な書類にサインをすることが難しくなりますし、宅配便の受け取りや郵便など、日常生活に必要な行動も人に頼まなければならなくなったりします。そういった社会復帰の壁になることを、ものづくりで解決し、患者さんの生活をサポートすることができるというのを実感しました。

実際に、その患者さんのお宅には継続的に訪問させて頂いていたので、その後もずっとその自助具を使って頂くのを見られました。「これがないとサインできないんだよね」とか「勉強や記録につかっているんだよね」という声をいただき、ものづくりの技術がその人の表情や生活を変えているなというのを大きく実感することができました。自分がつくって提供したものが、継続的に使われて、患者さんの生活を変えるというのは、看護師としてもあまりしたことがなかった経験だったので、すごくうれしかったです。

 他には、吸引のための練習器具というものもつくりました。肺がんなどで呼吸が苦しく、痰を吐く力がなくなってきた患者さんに、ストローのようなチューブを鼻に通して、その痰を吸引するというケアがあります。痰がつまってしまったとき、訪問看護を利用されている場合は、看護師の到着を待たなくてはならず、ご家族が呼吸を楽にしてあげたいと思っても、経験がなければできません。
そこで、この吸引を練習することができる器具をつくりました。実際に人の頭部の模型をつくり、鼻の中にチューブを通して、どのぐらいまで入っているのかを確認できるというものです。実際の運用はこれからですが、この器具を通して看護学生や患者さんのご家族に、感覚をつかんで頂くことができればと考えています。

また、その人にぴったりあったケア用品をつくるという試みも行なっています。つくっているのはガーグルベースンという、うがいをした後に口の中のものを吐き出すおわん型の容器です。
既成の容器では、やせ細ってしまった人や、吐き出す力が足りない人にはうまくフィットせず、吐き出したものが横から流れていってしまうということがあります。そうなると、汚れた衣服を着替えなければならなくなったり、本人の自尊心を損なってしまったりすることになる。これをなるべく減らすために、その人の顔を3Dスキャナでスキャンし、ぴったりあった形で、顔に押し付けながらでも使えるようにやわらかい材質でつくっています。
現在実証研究中で、実際に患者さんに使ってもらって、その評価をしてもらっている段階です。患者さんご自身の負担を減らすのはもちろんですが、例えば衣服を着替えなければならない事態を防ぐことで、看護にかかわる人手不足の解消や、家族の負担を少しでも減らすことにつながればと考えています。

その他、これら3Dプリンタでつくったものを医療の現場で使っていく上での安全性や耐久性の評価も平行して行なっています。つくったものを医療の現場で使うときに、どうやって清潔性を保っていくかというのは非常に重要です。洗浄や消毒、滅菌に耐えうる素材か、耐久性はどうかといった、医療の現場での安全評価フローなどをつくったりもしています。

在宅での最期をより良いものにするために

 看護の現場は、ケアの質を高めるための工夫がすごく必要とされる現場です。例えば、手を握りにくい人であれば、クッションやリモコンといった身の回りのものに紐をつけてひっぱれるようにするなど、生活のための工夫をしています。
そのような意味で、実は看護というのはとてもクリエイティブな、日々様々な工夫やアイデアが生み出され、それを実践して行くことができる場所です。ただ、現状では実際にそのアイデアが「もの」として体現されることは、まだまだ少ない状況です。だからこそ、そこにものづくりの技術を活用することで、さまざまな可能性が生まれると思いました。

特に私が勤務していた訪問看護の現場というのは、ご家庭ごとに患者さんの生活環境が全く異なり、そこに応じて工夫することが求められる場所でした。病院の場合はある程度部屋の構造が決まっており、ベッドの周りの必要な機器の位置なども統一されているのですが、訪問看護の場合は伺う場所が患者さんのご自宅のため、畳の部屋もあれば、ベッドの部屋もあり、生活の中での課題も全く異なるため、より個に寄り添ったサポートが必要になります。
今後、在宅での看護を必要とする人が増えて行くといわれる中で、ものづくりのチカラで、ケアの現場を支援するというのが『Fab Nurse』のプロジェクトで目指していることのひとつです。

現在、医療の現場において病院で亡くなる方が80%前後、残りの20%が自宅などそれ以外の場所で亡くなっています。今後、この比率が変化していき、自宅で最期を迎えられる方が増えて行くといわれており、2035年には"看取り難民"といわれる、医療の適切なケアを受けられない方は7万人にまで増えるといわれています。
その要因として医療施設のベッド数の不足もあるのですが、そもそも医療・看護スタッフの数が、亡くなって行く方の数に対して絶対的に不足するというのが大きいです。貴重な医療の資源となる人的リソースには限りがあるのです。
現在、訪問看護で患者さんのお宅に伺う際には、1回あたり約1時間かかるのが一般的です。ここに『Fab Nurse』で取り組んでいるような支援を提供することで、吸引を家族ができるようになったり、着替えにかかる人手を減らせたりする。そうすると、1時間かかったものを30分に減らすことができるかもしれません。そうしたことを積み重ねて行くことによって、1人でも多くの方が最適なケアを受けられる状態で最期を迎えられるのではないか。そのための支援につながることを期待しています。

領域を横断しながら充実した研究できるSFCの政策・メディア研究科

 まず"領域をブリッジする"研究ができるという点ですね。複数の領域を横断しながら研究を進めることができるというのは、大きな特徴だと思います。
かつ、それが"実践を伴う"というのも重要なポイントだと思います。
机上の空論で終わるのではなく、実践を目標としており、臨床に持っていってはじめて評価がもらえる。たとえば私達の研究室でいえば、ものをつくって終わりではなく患者さんや看護師、医療スタッフといったユーザーに使ってもらい、現場の方々に声をもらうことで、研究を進めることができます。そうした実践を目標とした研究を進めてゆけるのは、政策・メディア研究科の大きな魅力です。

その上で、人と違うことをしているのが当たり前という空気があり、自分が好きなことを研究している人たちがすごく多いと思います。
そもそも看護とものづくりという珍しい領域を組み合わせて、研究できる場所は国内外探してもほとんどありません。でも、ここでは自由に取り組むことができます。SFCの政策・メディア研究科がなかったら、私はこの研究をできていたか、わからないですね(笑)
大学院棟のロフトなどは、とても落ち着いて作業ができるので気に入っています。あと、インターネットがものすごく速いところもいいです(笑)
また、ものづくりの研究をしている立場としては、機材がすごく充実していると思います。
SFCでは「ファブキャンパス」構想の下、キャンパス内外にさまざまなデジタルファブリケーション施設やファブラボ、さらに大型の工房施設などを備えています。
授業で3Dプリンタの使い方を学んだ学生が、まずプロトタイプをつくってみようと思えば、簡単にそれができる環境があります。
田中研究室の中には、より大きなサイズで出力できる3Dプリンタがあります。それだけでなく、木や金属を切ったり削ったりする機械や、様々な素材を切り抜くことができるレーザーカッターもあります。以前このレーザーカッターを使って、動物や乗り物の型に切り抜いた小児用の点滴固定テープのプロトタイプをつくったこともあります。思いついたら手を動かしてものをつくることができる機材がそろっていますね。

何かアイデアを思いついたときに、それがすぐ形にできる環境、そして空気がととのっているのはSFCならではだと思います。「好きなようにやっていいよ」と言ってくれている感じが、すごく好きですね。

現在ゼミのほうでは看護医療学部、環境情報学部、政策・メディア研究科といった複数の分野の学生が一緒になって、すごく面白い環境になっています。専門が違う学生が集まることで、看護の学生とものづくりの学生が互いに得意分野を教えあい、一緒になってものをつくったりしている。これは慶應の中でも珍しい形ではないかと思います。

また、他の研究室の学生とのやりとりも盛んだと思います。ほかの研究室の学生と会ったときにコミュニケーションをとることで、自分の研究領域と違う視点でアドバイスをもらったり、意見を交換したりできる。こういう形でラフに研究室を横断できるような雰囲気というのもSFCならではなのかなと感じています。

看護師の経験があるからこそできる"ケアオリエンテッド"なデザイン

 看護師の経験を経て大学院に入学したことは研究にかなりプラスになっていると思います。私の持っている現場経験、現場の空気感を、ディスカッションのときなどに同じゼミのメンバーに伝えることによって、それが刺激になって、新しいものづくりにつながっていると感じることが多いです。

また、看護師だったからこそ、つくったものを医療の現場にどうやって入れていけばいいのかという視点を持つことができることも大きいと思います。
すごく雑な言い方をすると「医療をテクノロジーで変えてやる!」といった思考で進めると、主体がテクノロジーの方に寄ってしまう。技術だけで解決しようとして、医療の現場の運用を無視した状態でものをつくってしまうと、導入したときにかえって医療の現場の負担が増えることになります。看護師経験を持つ私、そして私がつなげることで様々な現場の方々と、そのあたりの按配をすりあわせていけるのは大きいなと思います。

現在『Fab Nurse』のプロジェクトとは別途、『デジタルホスピタルアート』という活動を私個人の活動として行なっています。 "デジタルアート"の魅力は、触る・動くといった何らかの行為をしたときに、反応がおこり、映像や音でかえってくるインタラクティブ性を持っているということです。そのデジタルアートを医療の現場に導入する試みです。

最初に取り組んだのは、重症心身障がいがあり、医療のケアを受けながらでないと生活ができない"医療的ケア児"といわれる子どもにむけたものでした。呼吸器をつけながら病院や家で暮らすケア児にとっては、外に出ること自体が難しく、生まれてからほとんど病院の中にいるというケースもあります。
そうしたケア児にむけて、その子の体の動きにあわせて反応する星空のデジタルアートをつくりました。ほとんど外に出たことのない寝たきりの子だったのですが、その子が手を動かすと、目線の先に投影された星空に、流れ星が流れたり、星座があらわれたりする反応がおこるものです。
このときは普段のリハビリと同じ動作をしてもらったのですが、介助した医療スタッフの方から、「サポートするときふっと腕がゆるんだ感じがする」という声を頂きました。きっと本人も何か感じてくれたと思いますし、それによって医療スタッフの方がすごく喜んでくださいました。ベッドの上にいながら新しい体験をさせてあげられることができたというのが、スタッフの皆さんのモチベーションにもなったとおっしゃって頂けました。

ほかにも「こんな解決方法もあるのだということに気付けた」という声や、「こんなことができないか」という意見をいただけるようになり、医療だけで解決しにくい課題を解決する方法を、一緒にコミュニケーションをとりながら探ることができるというのを、すごく実感じました。

心がけているのは、看護師として患者さんをアセスメント(*患者さんの情報を収集・分析し、自立した日常生活を営むために解決すべき課題を把握すること)し、将来どのようになっていくことが最適なのかを考え、そのためのケアプランを立てた上で、テクノロジーを添えて行くということです。
"ケアオリエンテッド"なデザインとでもいうのでしょうか。技術を実装することが目的ではなく、あくまで患者さんのケアプランによりそい、それがよりよくなることを中心において、そこにデザインとエンジニアリングがどう組み込めるかということをかなり注意してやっています。

『Fab Nurse』のプロジェクトでも、患者さんだけでなく、必ず医療スタッフにも話を聞きます。患者さんや医療の現場が、将来的にはどうなるといいのかということを看護師の観点で聞くことによって、目標を設定し、そのためのものづくりが進められます。

3Dプリンタを活用した、医療スタッフのためのワークショップ

 『Fab Nurse』から派生したプロジェクトのひとつなのですが、医療現場の方に3Dプリンタってどういうものなのかを知ってもらい、実際に作ってみてもらう機会を提供するワークショップなども実践しています。

実際に行なった「上肢欠損の子どもたちのためのおもちゃをつくるワークショップ」には、ナースだけではなく作業療法士や理学療法士といった、医療にかかわる様々なスタッフの方に参加いただきました。
2日間のワークショップだったのですが、1日目にモデリングの基礎を学んでもらった上で、2日目には、看護を受ける子どもたちにも参加してもらい、実際にその子にあわせたおもちゃをつくってもらいました。
つくったのは、ボウガンのようにひっぱって矢を飛ばすおもちゃです。子どもたちの腕の欠損部位はそれぞれ違うので、それぞれの身体を計測し、3Dプリンタでそこに必要なパーツをつくってもらいました。例えば前腕がない子には腕の先に取り付けるパーツ、両腕がない子には片方の足にとりつけ、もう片方の足でひっぱれるようなパーツといったように。

このワークショップのプログラムは、リハビリを担当する医師と作業療法士の方と一緒に組み立てたものです。モデリングの基礎を教える部分は私が中心になって担当し、実際にどんなものをつくるかは、医師と作業療法士の方に考えてもらうという形です。
ポイントは、身体の状態が異なる子どもたちが同じおもちゃで遊べるようになるだけでなく、その子どもたちの課題を解決できるようなプログラムにすることです。腕が欠損している子どもたちの課題に、"両手動作の獲得"というのがありました。どうしても欠損していない方の手だけを動かしがちになるのですが、実は両手を使えることによって、何かをおさえながら、ものを動かしたりひっぱったりする動作を獲得できる。そのためには「両手を使えると効果的」という経験を重ねて行くことが大切で、それを遊びの中に組み込むようにしたんです。

領域を横断することで、課題を解決していく

 現在『Fab Nurse』のプロジェクトは3年目になり、ものをつくるところ、実践をするところに関してはだいぶ進んできました。今後は他の領域の人たちをどうやって巻き込んでゆくかを考えています。ナースだけでなく様々な医療職者、そして患者さんの家族をどうやって巻き込みながらプロジェクトを実現して行くか。それがこれからの課題であり、楽しいところだと思っています。

また、医療領域の人だけでなく、デザインやエンジニアリング領域の人たちが関わる取り組みや実現例をつくっていきたいとも考えています。医療だけでは解決できないことも他の領域の人たちと一緒にやることによって、よりよいものが生まれると考えています。
これまで、日本ではなるべく効率的に多くの医療を提供するために、環境や治療方針の"統一化"が行なわれてきました。ただ、今後その医療を提供できる人材がどんどん不足してゆくと、今のような当たり前にみんなが同じ医療を受けられる環境は成立しません。だからこそ、他の領域の方々も巻き込み、医療だけではない視点で、その現場をよくして行くことが必要不可欠になると思っています。

『デジタルホスピタルアート』の方でも、色々な領域の方に加わって頂くことで可能性が広がると思います。身体が不自由な患者さんに「こんなことができるんだ」という新しい目標をみつけてもらったり、目の動きだけでも自由に音楽をしたり、踊ったり、絵を描いたりということが実現するかもしれません。

そんな"誰もが自由に生きられる世界"を、医療の現場をよくすることでつくっていきたいと考えています。

あなたにとって、政策・メディア研究科とは?

私にとって、政策・メディア研究科とは自由に研究ができる場所です。

研究室紹介

田中浩也研究室

キーワード:デザインツール、デザインマシン、パーソナル・ファブリケーション、ソーシャル・ファブリケーション

研究内容:デジタルファブリケーション技術の未来への進化について技術開発と社会応用の両面から研究しています。また、この技術の本質を理解し、使いこなすことのできる、新しいタイプのエンジニアの育成にも力を注いでいます。