人々の情動に寄り添う環境デザイン
中澤 希公 Kiku Nakazawa
学部:環境情報学部3年
出身校:実践女子学園高等学校(東京都)
ホスピタルアートの気付き
中学3年の時に母を癌で亡くして以来、喪失について深く考えるようになりました。母が旅立つ前、一緒に過ごした時間を今でも覚えています。カーテンで仕切られた空間に、ベッドとテレビ。悲しさも嬉しさもごちゃ混ぜの病室は、どこまでも無機質でした。窓から差し込む太陽光は気持ちいいのに、人々の笑顔が少ないのは病院の宿命なのかと諦めていました。
でも母の死後に訪ねたボストンのダナファーバ癌研究所では、一面に森林のイメージが広がっていました。館内には小鳥のさえずりが鳴り響き、すべてのデザインが患者のために作られています。副作用のせいで廊下に毛髪が落ちていても、壁画の前では不思議なほど気になりません。このようなホスピタルアートは、入院日数の減少や投薬量低下などの効果があるようです。医療施設利用者の視点から、もっと心が安らぐ環境をデザインしたいと思うようになりました。
デザインを学びながら表現活動
空間デザインを中心に、総合的なデザインの手法を学びたいと考えてSFCに入学しました。ここには建築、グラフィック、空間デザインなど、デザインを全般的に学べる環境が整っています。
表現することが好きで、死をテーマにした作品を発表してきました。1年生の秋には「DEATH EDUCATION (死の準備教育)」という研究が「エキセントリック・リサーチ奨励制度」に採択されました。奨励生が参加する研究セッションで石川初先生に出会い、アドバイスを頂きながら「棺桶写真館」という展示イベントを開催しました。自分の表現したいことを面白がってくれる先生だと思い、2年生の秋から石川初研究会に所属しました。この研究会には、以前から死を研究テーマにした先輩たちが所属していたらしく「また"死"の人が来た」という感じで迎え入れてくれました。
研究と並行しながらスタートアップ
死をテーマにしながらデザインを学ぶ学生として、200人以上の死別経験者とも語り合ってきました。さまざまなタイプの遺族会に足を運びましたが、病気、自殺、死産など、死別の悲しみは多様です。
3年生の時に、「葬送の変容による死生観の変化について」の研究が山岸学生プロジェクト支援制度に採択されました。石川初研究会で培ってきたフィールドワークのスキルを活かし、鹿児島県与論島という土葬の文化が残っている地域の墓地調査を行いました。自宅葬や土葬などの伝統的な葬送文化が色濃く残る一方で、2003年に火葬場、2011年に葬祭場が建設され、葬祭施設での一般葬や火葬が普及しつつあり、葬送文化の変化の過程を観察することもできました。同じSFCの前田陽汰さんとは、別の研究会ながら共同で活動を続けています。「人間に限らず、会社や建物にも、いろんな終わり方があるよね」という共感から、株式会社むじょうの創業に参加。オンライン展示会の「死んだ母の日展」「死んだ父の日展」では、亡くなった人への感謝だけでなく、自分への後悔や運命への怒りなどを遺族のみなさんに綴ってもらいました。
研究、作品制作、事業を通じて、自分の思いを社会に還元する方法を今後も追求していきたいと思います。
共同プロジェクトと個人プロジェクトを並走
石川初研究会では、地上学の視点から地域を捉え直す活動をしています。研究会の拠点であるν(ニュー)棟(ドコモハウス)で仲間と寝食を共にしながら、合宿のような環境で共同プロジェクトを進めています。先生が料理を作りながらデザインについて熱く語ったり、そんな距離の近さもSFCならではです。月に1度、研究会メンバーでランドウォークという地域に出て街を観察する活動があります。生徒同士で地域の特徴をディスカッションする中で、風景を鑑賞するスキルが身につきました。もともとは病院の空間デザインに興味があったのに、今は「弔い」のデザインに気持ちが向かっています。そんな自分の変化にあわせて、自由に講義が選べる環境もありがたい。会社経営に役立つ経営学や、環境デザインに必要な心理学も受講して自分に足りない知識を補っています。
「弔いの風景」の提案へ
最近は、墓地のデザインにも関心を持っています。以前から、私にとって亡き母はいつでもどこにでも居るのに、なぜ墓地や仏壇だけに手を合わせるのかわからないという素朴な実感がありました。自分で考えた母のためのお墓が作れたらいいなと思うこともあります。弔いの形は多様化しています。SFCでの学びを活かし、時代に合った墓地や、弔いの空間や風景を提案できるようになりたいです。