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2024.04.30

英語苦労伝|常任理事/政策・メディア研究科教授 土屋 大洋

先日、飛行機に乗っていたら、客室乗務員の方に声を掛けられた。「卒業生なんです。」こういう声の掛けられ方は2回目だ。うれしい出来事ではあるのだが、正直ドギマギする。こういうのが怖いので、ボーッとアホ面して眠らないようにアイマスクと口を覆うマスクは欠かせない。

忙しくない時間に少しお話ししてみると、最初は金融機関に就職したものの、客室乗務員に転職したそうだ。「でも、英語はそんなに話せないんですよねー」と笑っておられる。それは実は私も同じだ。

私は大学の国際連携を担当しているものの、大学生になるまで海外に出たこともなかった。大学生の頃はろくすっぽ英会話なんかできなかった。それなのに国際政治学を学んでしまったので、英語ぐらいできるんだろうと過大評価されて国際連携担当になってしまった。

伊藤公平塾長は幼い頃から英語に馴染んでいたし、修士課程と博士課程を合わせて5年間を米国で過ごしているので本格派だ。塾長の横に立って海外の学長同士の会話を聞いていることが多いが、よくまああんなに会話が続けられるものだと感心する。仮に雑談をするにも日常的な細々としたことや話題のニュースについて英語で表現できないといけない。自分の専門の研究について英語でしゃべれることと、雑談ができることではレベルが違う。むしろ後者のほうが、学者にとっては難易度が高い。

後期博士課程の時に初めて国際学会で英語で研究報告をした。読み上げる原稿はカナダ人の友人にカセットテープに吹き込んでもらい、飛行機の中でウォークマンで聞き続けてほぼ暗記状態だったので何とかなった。しかし、質疑応答がよく分からない。冷や汗をかきながらしどろもどろで答えるしかなかった。

その後、前職の大学の研究所で研究者として働くようになり、近くの席にイギリス人とアメリカ人の研究者がいたので、彼らとなるべく英語で話したり、イギリス人と一緒に海外出張に行ったりして、何となく英語で雑談ができるようになった。彼らがいてくれてとても良かった。と言っても、彼らは日本に長く住んでいて、それぞれ奥さんが日本人だったので、日本人の英語に慣れていて、うまく聞き取ってくれたというのが正しい。

その後、3回に分けて1年ずつ、合計3年間をアメリカで暮らしたが、授業で無理矢理英語を使ったわけではなく、大学や研究機関の客員研究員をしていただけだから、強制力はそれほど働かなかった。それでも日常的にコミュニケーションを取る友人がアメリカにできたし、2009年頃から自分の研究テーマが海外でも多少必要とされるに至って、かなりの頻度で英語を使うようになった。

しかし、今の立場になって、外国人が話す日本語にも多く接するようになり、こちらが日本語のネイティブだと、いろいろな言葉を補って聞き、だいたい相手の言いたいことは分かるということも多く経験する。英語のネイティブの人が私の英語を聞くときも、そのように聞いてくれているのだろう。

問題は、こちらも相手もネイティブではない場合だ。お互いに配慮しながら会話をする場合は、むしろ楽しいこともある。しかし、「お前、俺の言っていることがわかるだろ」という感じで癖のある英語を話されると分からないこともある。相手が外国の大学の枢要の地位を占める人だったりすると、とても困る。1回ぐらいは聞き直しても良いが、何度も聞き直すのは気が引ける。

なんてことをいつも悩みながら業務にいそしんでいるわけだが、荒俣宏さんが書いた『福翁夢中伝』の第五話を読むと、福澤先生の英語は日本語とちゃんぽんのブロークン・イングリッシュで、いわゆる「度胸英語」だったと書いてある。無論、あの時代にブロークンでも英語が話せただけで偉大なのは言うまでもないのだが、少し気が楽になった。私の英語レベルでも福澤先生は許してくれそうだ。

それにしても、『福翁夢中伝』は早川書房の「ミステリマガジン」に連載されていた「夢中伝――福翁余話」とずいぶん書き方が違う。連載版は読んでいたが、大幅加筆された書籍版もおもしろい。まだの方はまず刊行記念講演会のビデオからどうぞ。ついでに、北岡伸一先生と伊藤塾長の対談「福澤諭吉のすゝめ」もおすすめです。

土屋大洋 常任理事/政策・メディア研究科 教授 教員プロフィール