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2023.02.14

ポAの教え|環境情報学部長補佐/湘南藤沢ITC所長/環境情報学部教授 中澤 仁

年末にクラシック音楽を聴いたら、ポAのことを思い出した。私が愛してやまない慶應義塾志木高校では、その昔、新保堯司先生と新保雅司先生のご兄弟が音楽を教えていらした。ここではあくまで便宜的に、しかし感謝を込めて、堯司先生をポA、雅司先生をポBと呼ぶことにする。ポBの教えに関しては、どこかに書いた記憶があるのだけれど、いくら探しても見つからないので、また改めて書くかもしれない。一方のポAはオペラ歌手で、全校で塾歌を歌うときにはその美声で大気が激しく振動していた。身体中の穴という穴を大きく開き、つむじが鉛直方向に引っ張られるイメージで歌いなさい、と教わったのでやってみたら、確かにそれっぽく歌うことはできるようになった。

そのポAが、移動手段の高度化にともなってオペラ歌手が短命化しつつあるのではないか、という考察をお話された。オペラは大勢のオーケストラと大勢の歌手やダンサーが集まって成立するコンテンツだから、各地での上演に際してはそれら大勢の移動が伴う。19世紀までは、そうした移動には機関車や船、つまりゆっくりな移動が一般的だったから、1回の公演前後には長期の休みが伴う。しかし飛行機であっという間に地球上を移動できてしまう20世紀には、短期間の世界ツアーなども可能となった。その分、オペラ歌手は声を酷使する。ポAの懸念は、年齢を重ねて円熟する前に、声を使い果たしてしまうのではないか?ということだった。「三大テノール」という方々がいて、まだ若いのに歌い過ぎている、とおっしゃっていた。

三大テノールの方々はつい最近まで活躍されていたようなので、ポAの懸念は幸にして当たらなかったのかもしれないけれど、これと同じようなことがインターネット上で起きている。動画サイトが、これまでとは全く異なるコンテンツの消費を可能にしているのだ。お笑いコンテンツを例に取ると、私が子供の頃は、土曜日の20時に全員集合したら、次回まで1週間待たなければいけなかった。しかし今は、「ネタ」が動画サイトに(非合法のものも含めて)たくさんアップロードされているから、視聴者は好きなタイミングで閲覧できる。結果として、ネタは秒で古くなり、あっという間に消費されてしまう。1週間が1秒になったのだと思うと約60万倍、消費が高速化したと言えるし、逆に新たなお笑い芸人さんがブレイクするチャンスが、それだけ大きくなっているとも言える。

このことは大学の授業にも当てはまる。テレビ局のスタジオからインターネットの動画サイトに視聴空間が拡大したのと同様に、大学の学習空間も、教室からインターネット上の配信システムへ拡大しつつある。コロナ禍の間は、ライブやオンデマンドの授業を円滑に実施された先生方がたくさんいらしたようだし、他大学の先生方との立ち話ベースでは、「オンデマンド授業は三倍速まで聞こえます!」という学生さんはどこの大学にもいるようだ。聞こえることと理解することは別な気がするけれど、いずれにせよ教員も学生も、インターネット上の学習空間に新しい可能性を見つけている。これからは、おそらくAIによる自動通訳も容易かつ正確になるだろうし、そもそもChatGPTのような、大量の言語データを学習してさまざまな言語のさまざまな質問に答えられる汎用AIも登場している。

nakazawa_okashira0213.pngこのように考えると、大学の授業はこれからの技術をどんどん取り込んで、新しくしていかなければならないと思える。現在の汎用AIでもSA並み(内容によっては教員並み)に質問への回答ができるから、教科書に書いてあるような内容であればAIのSAやAIの教員が既に可能だ。例えば情報の分野では、ChatGPTに質問すると実際に動くプログラムを教えてくれる。AIにはプログラムが書けるのだ。ということは、教員は教科書に書かれていない新しいことを自分で生み出し続け、学生は自分の頭でものを考える、そうした研究・教育がこれまで以上に重要になる。また自動通訳を使うと、1つの言語で授業を録画、配信したら、さまざまな言語で視聴できるようになる。授業に限らず、言語を跨ったコミュニケーションが表面上は可能になって、他言語の習得動機が減ってしまうかもしれない。そうすると、他の文化や国についての理解を深めることも含めて、言語教育がとても大切になりそうだ。

きっとこれに限らずたくさんの可能性があって、それぞれがSFCに革新の機会を与えてくれていると感じた。というわけで、年末の自分にこの数分の思考を与えてくれたポAの教えに感謝。

中澤 仁 環境情報学部長補佐/湘南藤沢ITC所長/環境情報学部教授 教員プロフィール