昨年の秋、クラウス・クリッペンドルフ教授の訃報が届いた。いわゆる「指導教授(主査)」ではなかったが、ペンシルベニア大学に留学していたころ、いくつかの授業を受けた。じつは、当時のシラバスやノートは、いまでも残っている。すでに30年も前のことなので、記憶が曖昧なところのほうが多いものの、ドイツ訛りの英語で語りかけてくるようすは、鮮明によみがえる。
「Models of communication」は、人びとのコミュニケーション行動を抽象化・単純化するモデル構築が主題だった。「情報理論」が元になった、かなり抽象度の高い議論が多かった。毎週、授業の終わりにちいさな「クイズ」が出た。数日後に先生のメールボックスに「こたえ」を提出し、翌週の授業で講評を受ける。コミュニケーションの状況を記号や矢印に置き換えて図解するような課題は、言葉をさほど必要せず、パズル解きのような感覚で取り組むことができた。だがアメリカに行ったばかりで、なにしろ英語がわからず、しかもコミュニケーションにかんする哲学的な問いかけには悩まされた。200ワード程度の回答を書くのに、ものすごく時間がかかった。一連の「クイズ」に翻弄されながら学期を過ごした感じもするが、複雑で個性に溢れる人間のふるまいを語るためには、仕組みや仕方についての理解を深めることが大事だということを実感したように思う。
「Social constructions of reality」のほうは、あたらしく開講したばかりの科目だったと思う。いわゆる構成主義の考え方にもとづいて、日常生活のなかのさまざまな〈もの・こと〉を、社会的構成というまなざしで理解を試みる授業だった。受講生は、一人ひとりがテーマを設定して文献リストをつくり、クラスで発表した。自らが能動的にかかわることによって〈現場〉そのものが生まれるという考え方は、しっくりとぼくの身体になじむ感じがした。少しずつ、大学院生としての生活にも慣れてきて、内容については大いに共感しながら受講していたが、(日本語でさえも説明が面倒な内容を)授業中に議論するのはなかなか難しかった。学期末には「What we learned」というタイトルのふり返りのレポートを書いて、受講者の分をコピーして持参するように指示された。一人でふり返るのではなく、クラスメイトたちとともに自らの思考の流れをもう一度辿る。あのころは、その価値をあまりわかっていなかったかもしれないが、いまは、授業のなかに再帰的な過程を組み込むことの実践を心がけている。
ある日、研究や論文のことを相談するために、研究室を訪ねたことがある。ひとしきり、ぼくの話を聞いたあと、クリッペンドルフ教授は「そんなに急がなくてもいいのに...」というような反応をした。まだまだ勉強不足であると、伝えたかったのかもしれない。実際にどのような言葉をかけられたのかは忘れてしまったが、性急にまとめようとせず、もっと「丁寧にじっくりと向き合いなさい」という助言だったのだろう。
そして30年。当時の先生と同じくらいの年回りになって、学生たちと接している。いまのぼく自身のいくらかの部分は、これらの授業や、先生が発した言葉でつくられていると思う。それなりの経験を積んできたつもりだが、何度言っても、いっこうに伝わらないではないかと歯がゆい思いをする場面もある。教員としての無力さ(人としての徳のなさだろうか)をかみしめながら、自分のやり方をふり返る。いっぽう、たまに卒業生と再会して、当時ぼくが発した言葉をかなり鮮明に覚えていると話してくれることもある。だから、伝わるとか、伝わらないとかいうのは、ぼくたちが勝手に期待したりがっかりしたりする類いのことなのだ。
この「おかしら日記」が公開されるのは、ちょうど卒業プロジェクトや修士論文の提出期限を前に、学生たちがプレッシャーを感じながら過ごしているころだ。かつての自分を思い出しつつ、「そんなに急がなくていいのに...」と声をかけたい。もちろん、のんびりしてもいられないとは思うが、自分の想いで手がけてきたのだから、ゆったりと構えて、納得のいくものを仕上げればいい。
そして、自分自身にも「そんなに急がなくてもいいのに...」と声をかけてみる。いまはわかりやすい手応えがなくても、いずれ30年くらい経って、誰かがぼくの言葉を思い出してくれるかもしれない。たくさんの言葉を発し、たくさんの人に会う。会話を大切にする。勤勉な毎日を心がけていれば、それでよいのだ。