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2022.09.27

平均寿命と健康寿命|健康マネジメント研究科委員長 石田 浩之

9月13日,フランスの映画文化における新しい波"Nouvelle Vague:ヌーヴェル・ヴァーグ"の牽引者であったジャン=リュック・ゴダール監督が死去したことを知った.享年91歳.その数日前,英国エリザベス女王崩御という出来事があったためか,ゴダール監督の死去は我が国では大きな報道とはならなかったが,世界の映画界に多大なる影響を与えた孤高の監督の死を悼み,多くの文化人が追悼のコメントを寄せている.

私がゴダールを知ったのは,高校1年生の夏,短期ホームステイで英国を訪れた時だった.たまたま語学学校で知り合ったスペイン人の女の子と映画の話になり,「どんな映画が好きなの?」と聞いた私に対して,彼女は「ゴダールの"A bout de souffle"が素敵よ」と言う."A bout de souffle"は邦題"勝手にしやがれ"(沢田研二ではない).これぞゴダールの名を世界に知らしめた長編デビュー作である.当時,すでに多くの欧州作品を観てきた自負があった私であるが,残念ながらゴダールについては無知.今思えば「僕は"Pierrot le fou"(邦題:気狂いピエロ)が好きだよ」と返せていたら,その娘と新たな関係を築けていたかもしれない.残念だがこれが当時の私の実力でのあった.日本に戻りさっそく"勝手にしやがれ"ほかゴダール作品を名画座で観たが,ジーン・セバーグ,アンナ・カリーナら,煌めく女性ばかりが印象的で,起承転結のはっきりしない男女の関係は高校生には難解極まりなく,欧州娘と付き合うのはまだ早いと観念したことを思い出す.不思議なもので,その後年齢を重ねる中で遭遇する数々の経験において,ふとした瞬間,「これってゴダールの映画みたいだな」と過去に観た映像を想起することは少なくない.理解しきれない歯がゆさは拭きれないが,巨匠の作品とはそういうものなのだろう.

さて,ゴダール監督は臨終の地スイスにおいて,同国で認められている尊厳死を選んだと聞く.医療自殺幇助を含むいわゆる"尊厳死"は世界的にも議論のあるところだが,平均寿命と健康寿命のギャップを短縮する選択肢のひとつとも解釈できる.尊厳死の是非はさておき,このギャップをどう埋めるかは多くの先進国が抱える喫緊の課題であり,特に高齢者人口比率が高い我が国では近年,健康寿命の延伸について様々なステイクホルダーから声が上がっている.公衆衛生環境や医療技術の黎明期,平均寿命の伸びは国民全体の健康の証と認識されていた.しかし,それが十分に成熟した現在,平均寿命の伸びは高齢者比率を反映する形となった一方,ヘイフリック限界1)によって最大寿命は大きく伸びることはない.では最大寿命が変わらず,高齢者人口が増えることで次に何が起きるか.現在の人口構成で突出した(=人数が多い)団塊世代および団塊ジュニア世代が一気に終末医療を迎えることになる(私もその一員).残念ながら多くの場合はPPK(ピンピンコロリ)とは行かず,コロリとなる前の相当期間,医療,看護,介護を必要とし,社会保障費を含めたその負担は人口の少ない若年世代が担わなければならない.負の遺産を残さないためにもPPKの実現,すなわち健康寿命と生物学的寿命のギャップを埋めることが昭和世代に要求された最後の仕事だと私は考える.

現在,男女共,このギャップは約10年.これをどう短縮するかという未曾有の課題に対し,慶應義塾大学予防医療センターは最新の技術と知見をもって,新たな挑戦を始めることになった.同センターは大学病院機能の一環として2012年に開業し,人間ドック業務を中心に成果を挙げているが,来年10月には虎ノ門・麻布台に拡張移転してその名の通り,新しい予防医療を開拓することを掲げた.移転後は従来型の人間ドック機能,すなわち早期発見,早期治療に加え,病気以前の段階からの介入や個別評価も重視し,一人ひとりのウェルビーイングの実現をサポートする.健康寿命の延伸と要介護予防は密接な関係があるが,翻って要介護の原因をみてみると,骨折・転倒,関節疾患などの運動器の不具合が約1/4を占めている(2019年国民栄養調査).この運動器の不具合を"可逆性"があるうちに早期に察知し,運動指導や栄養指導を行うことで元に戻す,あるいは要介護が必要になる時期を遅らせることを目指し,我々スポーツ医学グループもセンターが掲げる新しい予防医療に参画することになる.スポーツ医学分野に限らず,新生予防医療センターのプロジェクトは健康マネジメント研究科が掲げるポリシーと極めて親和性が高い.学内の学部・研究科において,唯一"健康"を標榜する組織として,未来につながる健康づくりに協力したいと考えている.

1)ヘイフリック限界:身体を構成する細胞は,成長過程で細胞分裂を繰り返すが,その回数には限界が存在し,ある一定回数分裂した後は分裂が停止し,やがて細胞死に至るという学説(ヘイフリックはこの学説の提唱者の名前).細胞の分裂可能回数はあらかじめ種(ヒト,ネズミ,イヌ・・・)によって決まっており,それによって個体(種)の最大寿命が決定されることになる.

石田 浩之 健康マネジメント研究科委員長/教授 教員プロフィール