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2022.07.19

感傷的にボクシングを語る|健康マネジメント研究科委員長 石田 浩之

新型コロナ,戦争,円安等々,気持ちが後ろ向きになりがちな話題が続く中,久しぶりに元気をもらった出来事があった.プロボクサー,井上尚弥選手がフィリピンの英雄,ノニト・ドネア選手を下し世界バンタム級3団体統一王者となったことである.たぶん,多くの方にはどうでも良い話題であろうが,"日記"という建て付けに免じてお許しいただきたい.

私は学生時代,漫画"あしたのジョー"に感化されボクシングを始めた.もともとボクシング観戦好きだったことが発端だが,今から思うと自分を追い込む男が女子にモテるという倒錯した考えに頭が支配されていたのかもしれない.理由はさておき,ボクシングを止めてからも世界戦は欠かさず見ていたのだが,当初より井上選手は傑出した存在であった.彼の凄さは本当に強い相手と対戦し,ことごとく撃破して来ている点である.私が通っていたボクシングジムのバトルホーク風間会長(故人)は常々,「一部の世界タイトルマッチは数ある団体の中から相対的に弱いチャンピオンを選んでマッチメークし,戦略的に世界チャンピオンが作り出される場合もある.勝ち負けは別として誰と戦ったのかに自分はこだわりたい」と言っていた.その意味では,ロベルト・デュランらの名選手と激戦を重ねたガッツ石松さんは超一流のボクサーだという評価.ちなみに風間会長が世界戦で挑んだ相手はWBA世界Jライト級王者のサムエル・セラノ.同王座を10度防衛した強豪だが,さすがに相手が強すぎて,まともにやったら勝てないと試合途中で感じ,やはり弱い相手を選んでおけば良かったと後悔した,と語ってくれたのは懐かしい思い出である.

同階級で敵なしの井上選手はまさに"バンタム級のking of kings"なのだが,それに加え,「試合をドラマにするつもりはない,圧倒的に勝つ」と宣言し,それを実行した点も過去の日本人王者とは一線を画す凄さがある.そもそもボクシングは,ハングリー,アウトロー,アンチ・エリートの象徴と扱われることが多く,一方で,そこからのサクセス・ストーリー,さらには,家族愛,減量,逆転KO,パンチドランカーなど,ドラマになるに十分な感傷的要素を内包する特性がある.事実,「あしたのジョー」,「ロッキー」,「一瞬の夏」(沢木耕太郎著)など,ボクシングを素材とした作品は枚挙にいとまがない.私を含め,多くのボクシングファン(特に昭和時代)はこのドラマを念頭に置いてボクシングを観戦していたと想像する.

しかし,井上選手は試合をドラマにすることを否定し,作戦通り圧倒的勝利を収めた.昭和世代を熱狂させた日本人ボクサーとは明らかに異なるスタイルのスーパースターが登場したことを強く印象付けたのである.事実,アメリカで最も権威あるボクシング専門雑誌「The Ring」はパウンド・フォー・パウンド世界ランキング1位に井上選手を格上げした.パウンド・フォー・パウンド(Pound for pound)とは,階級とは無関係に世界最強のボクサーを決める同誌によるランキングだが,もちろん,日本人として初めての快挙となった.過去の1位を見ると,マイク・タイソン,マニー・パッキャオほか錚々たるメンバーが顔を揃えているが,まさかここに日本人がランキングされるとは世界で誰も想像しなかったに違いない.MLB大谷選手の二刀流も凄いが,井上選手のランキング1位はそれに匹敵するくらいの偉業であることを私は強調したい.

ところで,残念なことに今回の偉業達成となった試合は地上波やBSでは放送されず,有料ネット配信に限定された.破格のファイトマネーとそれに伴う放映権の高騰が原因という.テレビ局の事情はわかるが,世界的偉業にチャレンジする日本人を,老若男女誰もが応援できなかったことはなんとも寂しい.

わが国でテレビ放送が始まって間もない頃,街頭テレビのボクシング,プロレス中継には黒山の人だかりができ,日本の誇りをかけて戦うファイティング原田や力道山に国民が熱狂していたと聞く.街頭テレビの時代から半世紀以上が経ち,価値観や娯楽の多様化もあるだろう,スポーツ観戦に対する熱量は明らかに変化した.昭和時代,当たり前に放送されていた地上波ゴールデンタイムの野球中継が姿を消したのはその象徴とされるが,その背景には熱量の変化だけではなく,各テレビ局がいわゆる"スポーツニュース"の独立化と充実化を推し進めたことで,結果的に自分の首を締めることに繋がったと私は感じている.昨今,Z世代はコスパよりタムパ(タイム・パフォーマンス:時間対効果)重視と言われるが,まさにスポーツニュースはタムパの先駆け的存在であった.スポーツニュースを見れば,おいしいとこ取りした映像編集に加え,専門家の解説付きで結果が提供されるのでこれで十分,あえて,長時間に渡って中継を見続ける必要ないと多くの人が感じたに違いない.たしかに,試合時間が長いスポーツは多い.効率的に経過や結果を知りたいという気持ちはわからなくもないが,結果にたどり着くまでの手順や行間もスポーツ観戦の醍醐味である.ボクシングで言えば,両国の国歌が流れている間の両選手の表情や画面から伝わる決意,そして1Rのゴングが"カーン"と鳴った瞬間から始まる緊張感.タムパによって切り捨てられてしまうのはあまりにも残念である.

もし,時間が許すなら1975年に行われた輪島功一x柳済斗の世界戦アーカイブ映像をZ世代の学生諸君に見てもらいたいと思う.年齢的にも圧倒的不利と予想される中,奇跡的に勝利した輪島選手を熱狂したファンがリング上に殺到し肩車した.安全対策の問題はさておき,この熱量は3分x15Rを固唾を飲んで見続けたからこそ生まれたものなのである.

石田 浩之 健康マネジメント研究科委員長/教授 教員プロフィール