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2021.03.09

すってんてん|看護医療学部長 武田 祐子

金や物がまったくなくなるさま(コトバンク)

これは、母が最期に残した言葉です。
3年前の夏、肺炎、脱水から、危険な状態に陥りながらも辛うじて一命をとりとめたものの、基礎疾患による肺機能の低下もあり、在宅酸素が必要となりました。
この夏は...この年は...越すことが難しいと誰もが思う状態と、奇跡的回復を繰り返し、年が明けて卒寿を迎えることができました。ケアの大切さを実感、再認識しました。

この間、お定まりの転倒で軽度骨折もあり、リハビリのための入院では、コロナによる面会制限もありました。リハビリへの期待も虚しく、入院中の転倒、長期化による認知力の低下と、主治医もこの機を逃したら家には帰れなくなると思ったのでしょう。小康状態を得た昨年6月に退院し、姉の家での同居生活が始まりました。ディサービス、訪問による診療、看護、リハビリ、入浴とあらゆるサービスを導入し、私も通勤途上に立ち寄ったり、宿泊したりしながらの8ヶ月余りでした。

一人になることを不安にさせる夜は、介護ベッド脇のソファベッドから手を繋いで寝ることもありました。コロナの経験から、何があっても入院はしないという方針を共有し、誤嚥性肺炎や膀胱炎、複数回の意識低下も何とか乗り越えてきました。認知の低下で、トンチンカンな発言も多くありましたが、決して悲観的ではなく、娘2人といることを「幸せだわ」「もう少し一緒にいたいわ」という言葉に支えられていました。

その母が、食べても嚥下が出来ず、激しくムセ込み、吸引が欠かせなくなって1週間。ハッキリとした言葉を発することもなくなっていたのが、突然姉に向かって、「ここ(姉の家で)でよかったわ」「もう充分」と言ったのです。さらに聞こうとすると、冒頭の「すってんてん」と一言。どういう意味か問うても、もう一度穏やかな口調で「すってんてん」。後は意味ある言葉として聞き取れなかったのです。
金や物ではなく、身も心も気力も尽きていたのだと思いますが、ユーモラスな表現は見送る家族の心を和らげてくれました。
その後20210310武田先生おかしら日記.pngは、静かな呼吸を続けて、見守られながら逝きました。

日記とはいえ、私的なものではないのに、他に書くことは難しく、グリーフワークさせて頂きました。
お付き合いくださいました皆様に感謝申し上げます。

武田 祐子 看護医療学部長/教授 プロフィール