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Magazine
2007.12.12

不埒な歌を聴く

SFCスピリッツ

不埒な歌を聴く

押川淳さん
青土社 編集者
2002年環境情報学部、2006年政策・メディア研究科修士課程

1941年、国会図書館の為に音源を採集していたアラン・ロマックスは、当初目的としていたロバート・ジョンソンが既に死亡していたことを知り、そっくりに弾けるという同じミシシッピの青年に白羽の矢を立てた。風変わりな白人男のために歌を吹き込んだ土曜日の午後の数年のち、彼は南部の多くの黒人青年がそうしたように、職を求めてシカゴへ渡り、ほどなく世界でもっとも強力なブルース演奏家となる。マディ・ウォーターズである。

神保町にある小さな出版社で編集者をしている。専門的な知識、特殊な技能はほとんど持ち合わせていない。いつも次の企画を考え、文章を読み、相談相手を探し、人に会いにいく。喫茶店で二時間、あるいは三時間、書き手が何を考え、何をやりたいと思っているのかを聴かせてもらう。仕事は話を聴くことであり、尻が痛くなるまで聴き続ける。面白い話が聴けたのなら、それで作業の九割は終わっている。

異なる角度からの把握、意味の繋ぎ合わせ、常識の揺り返しを通して、聴きなれた言葉の中に、触れたことのない思考が現れる。それは眼前の聴き手を打ちのめしながらも、遥か遠くへ向けて語られる。同時に聴き手も彼自身から遠く離れる。聴くことは、もちろん誰にでも出来ることなのだ。どこにでもいる誰かの内の、もしかしたら最初の一人として、世界の未知の形に触れること。それはいつでも面白い。

ロマックスがマディを発見したのではない。彼はずっとそこで歌っていた。マディがブルースを創ったのでもない。それは昔から繰り返し、様々に、歌われていた。世界のありうべき姿は、たとえそれらが不埒な望みと片付けられてきたのだとしても、まるで歌のように、常に、既に、いくつもあったのだろうし、同じ和音の連なりの中にも、いつも新しい歌は潜んでいるのだろう。だから繰り返し、繰り返し、飽きることなく聴くことが大事なのだ。そんなことを考えながら、毎日会社に向かっている。

(掲載日:2007/12/12)