SFCスピリッツ
オリンピックの夢の先に、自然と開発援助の世界が広がっていた
井本直歩子さん
国連児童基金(ユニセフ)スリランカ事務所 教育プログラム・オフィサー
2001年総合政策学部
「水泳のオリンピック選手が、どうして今は国連?」とよく聞かれる。
私にしてみれば、至極当たり前のこと。他に何の道が?と思うくらいだ。3歳で水泳を始め、物心ついた頃から五輪出場が夢だった。五輪に出ない自分は考えられなかった。
同時に”異国”に対して好奇心旺盛で、国際大会や海外合宿では、先進国のスイマーに憧れるのと同時に、開発途上国の選手たちがどんな環境で練習しているのかなど耳にしてはいちいち喜んでいた。
一国の代表とは思えないめちゃめちゃな泳ぎ。ぼろぼろの水着、ジャージの支給もなくTシャツ一枚で招集所に現れる選手たち。聞くと、コーチがいなかったり、プールが壊れていたり、戦争のために自国では練習できなかったり・・・。
私たちは何でも与えられている。最新水着も、科学的トレーニングも、栄養士もトレーナーも。水泳に思う存分打ち込める。プールでは同じスタートラインに立っているのに、実際はそうではない、と感じた。
次第に、現役を引退したら何か人の役に立てることをしたいと考えるようになり、高校3年時のSFCのAO入試の面接では「ルワンダ大虐殺に衝撃を受けたので、将来は紛争解決に関わりたい」と言っていた。
SFC在学時の大学2年、悲願だったアトランタ五輪に出場した。合宿ばかりで出席はほぼゼロだった。インテンシブ外国語の英語の先生に「アトランタでできるだけ英語を話して、毎日日記を書いて提出しなさい」と言われ、履修科目で唯一単位を頂いた。当時の拙い英語の日記は今でも大切に残してある。
現役引退後、2004年、国際協力機構(JICA)のルワンダ支援再開チームの一員として8ヶ月ルワンダに滞在した。あの大虐殺、あの面接から10年経っていた。SFCの面接官の先生たちに報告したい気分だったが、覚えてくださっているとは思えなかった。
ルワンダ、シエラレオネなど、アフリカの紛争後の国々での勤務を経て、今は国連児童基金(ユニセフ)の一員として、20年間内戦中のスリランカの教育セクター支援に携わっている。内戦の状況は悪化し、少数民族は疎外され続けている。自分の無力さを感じてばかりだが、それでもやはり子どもたちに、先進国の子どもと同じスタートラインに立って欲しいと願っている。
(掲載日:2008/04/22)