MENU
Magazine
2006.08.04

患者という立場になって気づいたこと|大西祥平(健康マネジメント研究科委員長)

私の出身は兵庫県姫路市です。姫路城、別名白鷺城と呼ばれていますが、その城下町で育ちました。父は商人で、働いている後ろ姿を見ながら育ち、いつかは父の後を継ぎたいと思っていました。勉強も好きでなく、教員についての将来のイメージは全くありませんでした。高校1年生の時ですか、父の友人と将来について話をしていた際、私自身、商才の無いことを自覚し別の路線を歩まねばならないこととなりました。数学と物理が好きであったので、それを活かせる事が出来ればと思いながら悩んでいました。昭和40年代半ばから後半の時期は大学紛争が激しく、また経済状態も必ずしも良くない時期であり、このような不況時に希望が多い職業として医師がトップにあり、高邁な考えも無く医学部を選択し、なんとなく医師になってしまいました。

医師になってからのその後は、否応無く勉強をしました。循環器専門医となり、救急医療の最先端で突っ走ってきました。夜昼無くの勤務のためだったのか解りませんが、身体を壊し患者の身になって、あらためて患者の立場や健康の大切さを知らされました。

そして、現在があります。スポーツ医学研究センターに職を置き、健康のための運動やスポーツの大切さを研究し、そして教育をするということを続ける中、昨年度の健康マネジメント研究科設立につながります。

教員になろうと思ったきっかけではありませんが、結果としてなった事だろうと認識している一方、私自身が大病をし、そして患者さんの立場に立った事がそれにあたるのではないかと考えます。

(掲載日:2006/08/04)

→アーカイブ