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2009.02.10

おかしらの予言:15年後のSFC|金子郁容(政策・メディア研究科委員長)

15年後のSFCはどうなっているか。そんなこと、誰にも分からない。という言い方もできる。私がSFCに来たのは1994年、大学院ができたときであるが、そのころは、車で湘南台方面から来ても、辻堂方面から来ても、途中で道が「なくなって」しまって、何回も曲がりくねった道を通ってからでないとSFCに辿りつけないという状態だった。今では、辻堂駅からまっすぐ広い道路ができた。「裏」の守衛門を通ってキャンパスの外から中高校舎に続くアプローチ道路の両側の桜が大きくなって、シーズンになると結構、楽しめる。

何が起こるか分からないのが世の中であるし、それだからこそ、人はそこに、変わらないものを求める。伝統もそのひとつだ。では、150年を超えた慶應義塾の伝統とは何だろうか。

かなり前のことになるが、私が教育改革国民会議の委員をしていたときのことだ。(これは、小渕首相の提案でできた首相の諮問機関だったが、発足後すぐに亡くなってしまい、森さんが後を継いだ。)会議が中間まとめを公表し、私はその中でコミュニティスクールを提案したのだったが(コミュニティスクールはその後、法制化され、現在では全国で 350校以上できた)、数名のメンバーで国会の文教委員会に報告しに行った。国民会議座長の江崎玲於奈さんが「日本の教育には、日本社会が昔から守って来た伝統のよさが必要だ」と述べたとき、議員さんのひとりがすっと手を挙げて反論した。京都選出の衆議院議員で華道ファミリーの池坊保子さんだ。「それは違います。伝統とは守るものではなく、日々、変えるからこそ生き残り、続くものですよ」と。ノーベル賞受賞者に反論する池坊さんもすごいが、「ああ、そうですね」とあっさり認めた江崎さんもすごかった。

慶應義塾の伝統も、昔のままを死守するということではないはずだ。むしろ、必要に応じて、たえず変わることを恐れないというスピリットが、当時有数のソーシャルアントレプレナーであった福澤諭吉が体現したことであろう。

(掲載日:2009/02/10)