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2008.11.27

創立150周年に思うこと|金子郁容(政策・メディア研究科委員長)

福澤諭吉が慶應義塾を創設するにあたって、イギリスのパブリックスクールの影響を受けたことはよく知られている。明治政府が日本各地に公立学校を設立し始めたのは明治五年(一八七二年)であるが、京都ではその三年前にすでに市内全域の六四の学区に「番組小学校」が創設されていた。京都市民の力で作られた「パブリック」な番組小学校を見て、福澤は新鮮な驚きを感じたと『京都學校記』の中で述べている。

福澤が特に関心をもったのは、番組小学校が、地域住民が費用を供出することによって成立したという点である。『京都學校記』に「小學校の費用は、初(はじめ)これを建つる時、其の半(なかば)を官よりたすけ、半は市中の富豪より出し」とある。慶應義塾は“市中”からいただくのではなく、卒業生や有志から寄付をいただき、節目節目で建物をつくることを含めて教育環境を整えてきた。

慶應義塾創立百周年のとき私は幼稚舎生であったが、母親が「百年記念の講堂を幼稚舎が建てるために寄付をさせられるのに、何年か後にできる新しい建物は使えないのね」とうらめしそうに言っていたのを、ふと思い出した。その三十数年後、幼稚舎創立百二十五周年にあたって、私は、今度は、幼稚舎長として保護者に寄付をお願いする立場になった。そのときは、記念事業の一環として、谷口吉生氏設計による、機能的ですばらしく美しい食堂・教室ができたのであるが、当時の六年生は使えなかった。その保護者の中には、私の母親と同じことを思った人もいたかもしれない。その代わり、中学校に行って、先輩諸氏が残した教育環境で学ぶことになる。

有志によって支えられる私学の伝統とは、この互恵システムが本質であろう。自分が寄付してできたものは自分や自分の子どもが使うとは限らず、あとから来る子どもたちや学生たちに使ってもらう。そのかわり、今、慶應義塾に学ぶものは、義塾百五十年間の知的・物的財産の恩恵を受けるのである。

(掲載日:2008/11/27)