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2009.05.20

おかしらがジェネレーションギャップを感じる瞬間|大西祥平(健康マネジメント研究科委員長)

小学生のとき、私は国語が苦手でした。あまり本を読まなかったからでしょう。文章力にはかなり問題があると思っています。通知簿をもらうと国語だけがいつも4でした。とても恥ずかしい想いをしていたことを覚えています。そのためか、母が私に日本文学全集および世界文学全集を買ってくれました。膨大な書物量でした。中学生のときですが、作り付けのベッドの枕元の書棚に山積みとなっていました。今では古典と称されている明治時代の文学を暇さえあれば読んでいました。夜通しです。中学と高校の時代において書物に親しむことができたのは母のお陰だと感謝しています。ただ福沢先生の書物は読んでおりませんでした。

私はスポーツ選手と生活を共にすることが多く、10代、20代の若い選手と24時間一緒に暮らしていたことがあります。オリンピック、世界選手権、ワールドカップ、夏合宿等においてです。スポーツドクターとしての役割で選手の健康管理を任されていました。生活習慣のこと、食事のこと、うるさく云っていました。私の発する言葉には意外と選手は聞く耳を持ってくれていたことが幸いでした。これも一緒に生活をしたことによるものかなとも思っています。

しかし聞く耳を持ってくれていたことと理解してくれていたこととは違うと感じたことがありました。十分なコミュニケーションがとれていたものと思っていたのが大きな誤解であったことを感じさせてくれたのでした。言葉が通じないのです。英語を喋っているのではなく、日常の日本語を喋っているにも関わらずでした。これには愕然としました。当然解っていると思っている言葉が全く通じていない、すなわち話の内容が意図しないところにいってしまっていたのでした。ジェネレーションギャップではないと思いますが、若い人たちとの語彙力の違いは大きなものでした。子供時代の文化や環境の違いにより、物の価値観が大きく変わり、そのことにより理解力に差があることを痛感した次第です。

(掲載日:2009/05/20)