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2009.05.28

SFCの木のように|阿川尚之(SFC担当常任理事)

私自身はそんなに年を取ったと思わないが、SFCの学生諸君と比べれば、2倍か3倍長く生きている。中学に入ったころ、10代後半の女性を見て、なんて大人びているのだろうと思った(正確には、ポーッと眺めていた)。40代の人を見て、なんて年寄りだろうと思った。義塾を中退した佐藤春夫が、三田の学生時代をなつかしんだ詩に、「若き二十(はたち)は夢にして、四十路(よそじ)に近く身はなりぬ」という一節がある。はるか昔の人だと思う佐藤春夫が、こう記したとき、彼はまだ30代だった。私はいつの間に、四十路のはるか彼方、「六十路(むそじ)に近く」まで、来てしまったのだろう。

これだけの年月生きていると、いろいろなことがある。思い通りにならない時も多かった。意図したわけでは必ずしもないのに、学校を途中で変え、社会に出てからも職を変えた。だから取るべき進路について、決断を迫られたことが何度かある。それぞれの決断は正しかったのか。そう問われれば、「わからない」としか答えようがない。もっとよい選択があったかもしれない。ただわかっているのは、右へ進むか左へ進むか、その都度「えいや」と決めて、気がついたらここにいた。それだけである。

ニューヨーク・ヤンキーズの名キャッチャーとして鳴らし、監督やコーチとしても活躍した、ヨギ・ベラという往年の野球選手がいる。この人はちょっと変わったことを言うのでよく知られていて、「ヨギ・ベラの名(迷?)言集」などという本が、たくさん出ている。その1つに、こんなのがあった。

"When you come to a fork in the road, take it!"

「分かれ道にさしかかったら、かまわない、どんどん行け」。そんな感じだろうか。論理は明らかに破綻しているけれど、言いたいことは妙によくわかる。

ちなみに、この人、他にも「あそこには誰も全然行かないよ、混み過ぎさ」「野球は90パーセント精神的なものだ、あとの半分は肉体的なものだけど」「未来って、昔はこんなもんじゃあなかった」「他人の葬式には必ず行くもんだよ、でないと自分の葬式に来てくれない」などと、訳のわからないことを、たくさん言っている。

ついこのあいだ若葉が出始めたと思っていたのに、忙しくしているうちにSFCの緑がすっかり濃くなった。梅雨までまだ少し間がある。晴れた日に木陰に入ると、空気がひんやりして、気持ちいい。

そう言えば、「青葉茂れる」ではじまる、小学唱歌があった。楠正成が湊川の戦いを前にして、桜井の駅で息子正行と別れる場面を描写した歌である。

青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ
木(こ)の下陰(したかげ)に駒とめて 世の行く末をつくづくと
忍ぶ鎧(よろい)の袖(そで)の上(え)に 散るは涙か、はた露か

こんな歌、今の若い人は、だれも知らないだろうなあ。そんなことは、まあどうでもいい。

先日、SFCの本館から学食へ向かって歩いていたら、メディアセンターとカモ池の間、校舎寄りの芝地に立つ4本の木が視界に入った。若葉の枝を風に揺らしている。欅(けやき)だそうである。しばらく見ぬ間にずいぶん大きくなった。10年前、この学校へ初めてやってきたとき、キャンパスの木はどれも背が低くて貧弱だったのに、いつのまにか幹を太く長く伸ばし、しなやかに枝を伸ばし、そこから若葉が天に向かってさらに伸びている。

最近、木を見るのが好きになった。特に背の高い落葉樹がいい。冬になってすっかり葉を落とした裸の木。春、芽が出て、若葉が伸び出す木。それぞれ味がある。若いころは花がいいと思ったけれど、今は春夏秋冬、少しずつ枝を張り、太く高くなる木がいい。木はものを言わない。ただ着実に年輪を重ね、すっくと立っている。

この5月、私はまた人生のちょっとした転機にさしかかり、1つの決断をした。なぜこの選択をしたのか不思議に思うが、してしまったものは仕方ない。せめてSFCの大きな木のように、まっすぐ背筋を伸ばして立っていたい。

(掲載日:2009/05/28)