編者対談

変容する"リアリティ"が学問にもたらしたもの

変容する

琴坂 すごく難しい問いなのですが、今のお話を聞きながら感じたことを話したいと思います。私は経営学をやってきているので、経営学におけるリアリティということで言うと、私自身、20年前にWebサービスを作っていたわけですが、20年前と今のリアリティは、すごく変化していると思います。当時は、若者向けのWebサービスを作ろうとしたら100万円くらいないと充分な能力を持つサーバを稼働できないといった状況でした。でも、今はオンプレやデータセンターで自分のサーバを稼働しなくてもサービスを作れるし、TikTokなどを使うと高校生の皆さんでもすぐにサービスのマーケティングができます。大切なのは、トレンドに迅速かつ適切にアプローチするサービスを発案して迅速に作ることで、昔とはリアリティがすごく変わっていると思います。こうしたお金にまつわる秩序が流動的に変わっていく中で、最適な打ち手も変わってきているというのが経営におけるリアリティで、やはり経営学はそこにキャッチアップしなければいけないし、私自身もこの前提の変化を強く感じています。

加茂 ありがとうございます。それでは、和田さん。

和田 加茂さんの話を聞いてリアリティって何かと考えたときに、経験則から言うことではないかという気がしました。最近、エビデンス・ベースド・ポリシー(証拠に基づく政策)という言葉が注目され、広く知られるようになってきたかと思います。この、経験則で何らかの物事を言うということが一つの軸であるとすれば、もう一つの対立軸はエビデンス・クエスト(証拠の探求)ではないかと思います。

SFCではいろいろな先生方がエビデンス・ベースド・ポリシーを進めていますし、それは非常に重要なことだと思うのですが、それと同時に、何がエビデンスかということも非常に重要です。見方を変えると数字やデータとは違うように見えたり、モデルを変えるとまた別の解釈ができたりすることもあるので、そこを学問的に厳しく追究することが大事ではないかと思います。

また、初代学部長の加藤寛先生が以前おっしゃっていた「学問は知識を与えてくれるけれども、どういう風にフォローするかは指針を与えてくれない」という言葉も、エビデンス・クエストに通じるものだと思います。総合政策学部が創設された30年前はデータとして使えるものといえば、国民所得とか投資といった、マクロデータしかありませんでした。しかしその後、個人のデータであるとか家計のデータなどが出てきたときに、経済学の分析手法が飛躍的に伸びました。既存の学問も、どんどんカバーできる領域が広くなってきています。

琴坂 私は今回のプロジェクトで『社会イノベーションの手法と実践』を担当しています。経営学において、今一番大きな経営戦略立案の話題は、これまではデータが取れない前提でインタビューしたり、サーベイしたりして、サンプリングして把握するという発想の探求や研究だったものが、今では現場の全てのデータが取れる可能性があるという前提での探求や研究の可能性が見えてきたことです。小売店ではお客さんが館内のどこで、どういう行動をしたのか、何をしたのかということが全部データで取れて、それがPOSにつながる世界になりました。さらに、皆さんがポイントカードを使うと、クレジットカードとポイントカードが接合されていて、その人が何を購入したのかも全部分かる。全部分かってしまう。その上で、経営者としてどういう判断をするのかと考える際、データが足りないのではなく、ありすぎて把握できないというこれまでに無かった状況が生まれています。これは、かつてとは全然違うリアリティです。

現実と学問をつなぐための哲学

現実と学問をつなぐための哲学

加茂 すごく良い流れですね。清水さんお願いします。

清水 リアリティを捉えたいけれど、リアリティはどこにあるのか。そう思いながら伺っていました。中でも「情報量が多くなってきている中で僕らはどこをどう捉えるか」という考え方に興味を惹かれます。たぶん、加茂さんが言いたいことにもつながっていると思うのですが、SFCの歴代学部長には福澤諭吉の「学問に凝るなかれ」という言葉を用いる方が何人かいました。学問の手法を洗練させていくことはもちろん大事だけれど、それによって現実との乖離も起こり得ることに自覚的でなければならないという警句だと理解しています。このキャンパスはより現実に近づこうと努力を重ねてきたわけですが、同時にたくさんのデータがある中で、どこに向かっていくのかという話をしなければいけないのだと思います。現実に動いている人たちは確かに一つのリアリティなのだけれども、その動向を捉えつつ学問と横断していこうということなのでしょうね。そのとき、僕らは何を哲学として、総合政策学の方向性を掲げるのかというところを、このプロジェクトを通して提示できたらと思いました。

もう一つ大事だと思うのは、総合政策学部も環境情報学部も看護医療学部も人間を対象にするところが共通しているということです。全ての問題に人がいる。それぞれの人が多様な生きにくさを抱えている中で、その人たちがもっと生きやすいようにしていく術を考えたい。そのためには、山本さんが話されているように、地域的にも方法論的にも幅広い意味での言語文化やコミュニケーションが重要になってくるのだと思います。SFCのキャンパスではその哲学がとてもよく共有されている。私が開講しているオーラルヒストリー研究会でも、人の温度とか人の温かみといったものをとり入れたアプローチで研究を行っていますが、その辺りが哲学的な側面におけるキャンパスのもう一つの方向性であり、それとリアリティを合わせていくと、おのずから、これからのSFCの方向性は見えてくる気がします。

加茂 ありがとうございます。リアリティは山本さんに編集していただいた、言語文化とコミュニケーションの領域にも非常に関わってくる話題です。どうでしょう、この「総合政策学のリアリティ」という点についてご発言はありますか。

山本 そうですね。私も先ほどの加茂先生の話を伺っていて、やはり人間というものを見据えるというのが、すごく大事だと思います。言語を使ったコミュニケーションの醍醐味というか、一番重要なことは、人間目線ということだと思うんですね。例えば、難民の研究をするときに、それを数とかデータで捉えることもできるけれど、一人の人間としてその人の言葉に耳を傾ける経験がプラスされることによって、そこにリアリティというものが生まれると思います。

どんなに時代が経ってさまざまなコミュニケーションツールが発達しても、言語によるコミュニケーションは、やはり基本であり続けると思います。今、私はSFCでアラビア語を教えていますが、自動翻訳の技術がこれからさらに発達していくし、大学で4年ぐらい勉強してもたいして使えるようにはならないのに、何のために言語を勉強するんですかといった声を学生から聞くことがあります。でも、そうじゃない。自分で言葉を発することには大きな意味があります。先ほど、トークセッションの前にブックプロジェクトの各巻を紹介した際、私はおそらく多くの皆さんにとって未知の言語であるアラビア語で「マルハバン(こんにちは)」と挨拶をしました。先ほど挙げた難民研究の例で言えば、難民キャンプに行って、困窮度などのデータを取ることはもちろん大事ではあるのですが、現場へ行って相手の言葉で「こんにちは」と言うか言わないか、ひとこと言えるかどうかで、相手から引き出せる情報の質が全然違うということを、私もですが、インタビューベースの研究をされている先生方は経験し、実感しているのではないかと思います。一人の人間として相手と向き合うところから引き出してくるリアルな情報を、どうやって学問のベースに取り入れて、そこから考えや行動を引き出していくのか。言語文化という観点から考えると、それが総合政策学のリアリティということなのではないかと思います。