執筆者・論考紹介
言語文化とコミュニケーション

越境する個人──言語の間に見出すアイデンティティ

西川 葉澄

西川 葉澄

総合政策学部 専任講師

何を論じたのか

現代社会において、文化的・言語的越境の経験に伴う異文化や他者との出会いはすでに珍しいことではない。母語以外を創作言語とする作家の存在は現代に限らず、移動や漂流をテーマに創作活動をする文学者には様々な名前が想起される。越境する個人の自伝的な物語の中には、複数の言語や文化を生きることによる新たなアイデンティティの形成や、複数の文化や言語を同時に所有することへの自覚、自己の帰属先への問い直しから、言語や文化の「間」が創作活動の空間として選択されるということが見られるだろう。

本論では、個人の越境の体験はどのように創作言語や文学的実践を変容し、更新するかという観点から、日本語とドイツ語の両方で創作活動をする多和田葉子の「エクソフォニー」論、19世紀後半に古典的規範からの逸脱によりシュルレアリスムの始祖とされたウルグアイ生まれのフランスの詩人ロートレアモンの越境性、現代フランス語圏文学を代表する作家の一人であるダニー・ラフェリエールの『帰還の謎』の独特の文体が持つ文化的重層性について考察した。

執筆者の研究紹介

19世紀後半のフランスの詩人、ロートレアモン(1846-1870 ; Comte de Lautréamont、本名Isidore Ducasse)について研究している。彼は南米ウルグアイに移住した両親より首都モンテビデオで生まれ、フランスで中等教育を受けた後、『マルドロールの歌』(Les Chants de Maldoror, 1869)および本名のイジドール・デュカスで発表された『ポエジー』(Poésies, 1870) を世に問うが、その作品の本格的評価は死後約50年後のシュルレアリスムを待たなくてはならない。これらの作品は文学的例外としてその異質性が強調されてきたが、同時代の社会的動きや文化的流行に緊密に連動したものであり、19世紀後半において至上の価値として目指された「現代性(モデルニテ)」や「新しさ」の野心的探求と捉え、彼の独特な詩学を象徴する剽窃行為と同時代の知の傾向を関連付けることをテーマとしている。

越境文学は大きなテーマであるが、カナダのフランス語圏であるケベックの現代移民文学において大きな功績を残しているダニー・ラフェリエール(Dany Laferrière)の作品にみられる日本文学の影響についても、近年研究対象としている。

また、日本における外国語としてのフランス語教育について実践的研究を行っている。言語学習のコミュニティ作りの可能性と課題に関心がある。