MENU
SFCの現場
2020.10.01

渡邉 康太郎 特別招聘教授 「わき道にある肝心なもの──コンテクストデザインの自主ゼミという実験」

記事用 20180426_KotaroWATANABE.jpgのサムネイル画像環境情報学部 特別招聘教授 渡邉 康太郎
Takram コンテクストデザイナー


担当科目:SFCスピリッツの創造(春学期)


いわゆる頭のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある。頭の悪い人足ののろい人がずっとあとからおくれて来てわけもなくそのだいじな宝物を拾って行く場合がある。
──寺田寅彦「科学者とあたま」より


いま、リモートでの仕事や学業は、合目的的な時間で満たされている。日々ZOOMの打ち合わせや授業がスケジュールを満たす。社会人にとっては、移動や来客の送り迎えといった「あいだの時間」がなくなったし、学生の場合は教室間の移動やサークル活動、学外の仕事やプロジェクトがまるまるなくなったのかもしれない。いわゆる本業に集中できる状況だが、私たちはいま、社会全体で寺田寅彦の言うところの「頭のいい人」、ないし「足の早い旅人」になっていると言えそうだ。これまで「あいだの時間」に得られていた目的外の、または偶然の出会いは減ってしまった。このような生活様式のなかで、「わき道にある肝心なもの」は、いかに見つけられるのだろうか。

いささか唐突だが、私たちは「散歩」から学べることがある。自粛期間中に散歩をしていた人は少なくない。もとは買い物のついでやエクササイズのためだったものが、回をこなすごとに多様な意味を帯び始める。草花や匂いの変化から季節を感じる。見逃していた近所の喫茶店やギャラリーに気付く。好きなPodcastを聴くためにあえて遠回りする。仕事や勉強に行き詰まり、体と意識をあてどなく歩かせる......。出かける時と戻るときで、散歩の意味が変わっているかもしれない。二回目三回目に出かけるとき、その意味はさらに複層化しているだろう。本来の目的の外、余白や無駄と思われていた部分に、少しずつ乗り換えていく。これは散歩にとどまらず、生きることの面白さそのものに通じている。

副産物としての価値が、主目的を書き換えてしまうことはよくある。偶然、と一言で言ってもいいだろうか。大学という場所は、もともとこのような偶然の出会いのためにこそあるものではなかったか。私自身も在学中、何のこだわりもなく履修したフランス語の授業にはまってしまい、結果4セメスター連続で週に8コマもフランス語を履修したり、ベルギーやフランスに留学したりするに至った。結果的にフランス語が好きになったが、これはフランス人の作家サン=テグジュペリの文庫本をたまたま履修登録のタイミングで読んでいたからに過ぎなかった。

ビジネスパーソンのキャリアを研究したスタンフォード大学のジョン・クランボルツ教授は調査の結果、キャリアの8割は当人が予期していなかった偶然によってもたらされていることを見出した。また、目標をあまりに明確に持ちすぎたり、キャリアを確固たるものとして枠に当てはめたりしてしまうと、8割分の偶然との出会いをとりこぼしてしまうとも述べている。未来の決断をする、という意味では、キャリアに限らず、大学生活でも同様だろう。偶然は決して軽視できるものではない。

当初から意図していたわけではないが、私が自主開催しているゼミは、もしかしたらこの「目的外」「わき道」「あいだの時間」として機能しているのかもしれない。SFCの授業やゼミの常識からわずかに(だいぶ?)外れているからだ。このゼミやその外れ方を少し紹介したい。

私は普段、東京・ロンドン・ニューヨークを拠点とするデザインファームで仕事をする傍ら、2019年から母校SFCでパートの先生をしはじめた。正式に依頼された授業は年に数回の大教室ないしZOOMでの講義だけだけど、せっかくの機会だから、決まった授業以外にも学生と学び合う時間を持ちたいと考えた。そこで、2019年と2020年、いずれも春学期に担当した授業の最後に自主ゼミ開講の旨を伝え、参加者募集をした。ゼミのテーマは「コンテクストデザイン」、私が提唱・実践しているデザインの考え方だ。いつのまにか使い手が作り手に、消費者が表現者に変化することを促すデザイン活動を指す。

このゼミは正式な授業ではない。あくまで誰にもお願いされていない自主開講授業なので、学生は自由時間に参加することになるし、単位も出ない。もちろん私も手弁当。そもそもそんな非公式な場に学生は応募してくれるのか。当初は10人でも集まれば上出来と考えていたが、最初の年は40人の応募があった。そして、ほぼ全員の学生は、志望動機に、社会がこうあったらいい、というビジョンを書き添えていた。たとえば「全ての人が消去法でない選択ができる社会 」とか、「誰もが複数のコミュニティに所属できる社会 」や「見えないものも、ないわけじゃない、と感じられる世界」など。自らの理想とする社会を実現するための手段としてコンテクストデザインに共振してくれたのだろう。皆が積極的な「誤読」をしてくれたことを嬉しく思う。コンテクストデザインは、正式な授業ではないから、学生にとっては「わき道」かもしれない。でも自らのビジョン実現につながると思ってもらえるならば、納得できる「わき道」だろう。

次に、開講場所だ。2019年は、ゼミ会場を私の表参道のオフィスとさせてもらった。月に一度ほどの授業のたび、学生は藤沢方面から通ってくることになる。移動時間やお金が負担になってしまうが、私自身が学生のころ、いろいろな人のオフィス見学をするなかで刺激を得ていたから......という言い訳のもと、それで通してみた(最終発表だけはキャンパスに行きました)。

これに関連して、去年印象的だったことがある。僕のゼミ生のなかに、もともと総合政策学部K先生のゼミに所属している学生が三人ほどいたのだ。奇しくも同じ曜日の開講。K先生のゼミを途中退出して表参道へ移動しなければいけない気まずいシーンで、三人は非礼を詫びたそうだ。しかしK先生は三人に、遠慮せずに行きなさい、と伝えたという。正式な授業を休んででも、単位にならなくても、遠路が辛かろうとも、それでも出たいと思える授業に出会えたことを大切にしなさい、と、応援の言葉すらもらったという(いやはや、この話を聞いて痺れました)。どうやら私のゼミは、学生どころでなく先生にも迷惑を掛けてしまっているらしい。でも個が学びたいと思う心は、何にも替えがたい。そして物理的な距離は「わき道 」そのものだ。新たな移動、あらたな場所。もちろん、コロナ禍にあって2020年はそうとはいかないわけだが。

第三に、受講生。2020年は約70人の応募があった。前年の倍近い数字だ。不思議なもので、告知した元授業の履修者以外も噂を聞きつけて、なんと法政大学の学生二人、社会人も一人合流してくれた(その嗅覚よ!)。他の学生からの紹介などがきっかけだった。全員の応募資料を読み、結局SFCの学生以外も歓迎することにした。紹介があったし、ZOOMでの開催だし、当人たちも私や他の学生にとっても負担は少ないと考えたのだ。学外のゼミ生たちは、申し込みも最初のゼミ出席も緊張したことだろう。履修者がSFC生に限らないという環境は、よくよく考えると特殊だけど、やはり予期せぬ出会い、偶然を生む。外部からわざわざ受講しに来るくらいなので、やはりモチベーションが高い。SFC生にとってはまさしく黒船だ。

学生にとって、学びが合目的的な時間で満たされてしまっているいま、この「非正規の」「単位にならない」「SFCで行われない」「SFCの学生だけのためでない」授業が、学生生活の意味を厚くするための、有効な外部として機能してくれることを望む。元の動機とはわずかにずれるが、例の散歩のように、副産物としての意味が宿ってくれれば、と考えている。

意味は人から与えられるものではなく、自ら気づき結ぶものだ。そして学びとは自身が変化するプロセスであり、人から変化させられるプロセスではない。私自身は学生時代ちょっと意識が低かったため、このことに気づかず、いろいろな機会を逸していたように思う。一方この二年間で私が出会っている学生たちは、みんなそれを感じながら、自ら意味を探し、意味を与え、それを楽しんでいるようだ。

ゼミのテーマである「コンテクスト」の語源はラテン語の「con 共に」と「texere 編む」にある。読み解く「文脈」という名詞的な意味ではなく、この語源に近い動詞的な「共に編む」という意味でコンテクストを捉えたい。多様な学生と私とで編み上げる、誤読とわき道に満ちたゼミとしていきたい。

(2020年のゼミは、全5回のプログラムとして、9月末の学生による最終発表をもってすべて終了した。これは素晴らしいものだった。成果は、私のnoteブログやTwitterから公開させてもらおうと思っている。 )


渡邉 康太郎 環境情報学部特別招聘教授 プロフィール

Takram コンテクストデザイナー。使い手が作り手に、消費者が表現者に変化することを促す「コンテクストデザイン」に取り組む。企業のビジョン策定からサービス立案まで幅広いプロジェクトを牽引。主な仕事にISSEY MIYAKEの花と手紙のギフト「FLORIOGRAPHY」、一冊だけの本屋「森岡書店」、日本経済新聞社やJ-WAVEのブランディングなど。慶應SFC卒業。近著『コンテクストデザイン』は登壇した会場や縁のある書店等のみで販売。趣味は茶道、茶名は仙康宗達。J-WAVETAKRAM RADIO」ナビゲーター。