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重要なお知らせ

SFC生の皆さんへ、新型コロナへの対応状況について(2021年5月21日)

新型コロナウィルス感染症へのSFCの対応状況や今後の見通しについて、総合政策学部長、環境情報学部長、大学院政策・メディア研究科委員長より、SFC生の皆さんへのメッセージです。(2021年5月21日)

新型コロナウイルスの影響を受けた湘南藤沢キャンパス(SFC)の2年目の春学期が半分終わりました。

現在の新型コロナウイルス感染の拡大による大学への影響は、当初の予想よりも長く、深刻になっていることは否めません。多くの皆さんが元気に過ごしていることと思いますが、そうではない人もいるかもしれません。教室での授業を再開できる日を私も心待ちにしています。

大学教育に深刻な影響を与えた出来事を振り返ってみれば、約100年前のスペイン風邪(1918年〜20年)、約75年前の第二次世界大戦(1939年〜1945年)、そして約50年前の70年安保闘争以来のことでしょう。逆に言えば、およそ50年間、大学は平和に、安全に教育を行う期間を楽しんできたことになります。

約30年前、湘南藤沢キャンパス(SFC)が開設された頃は、冷戦の終結や経済のグローバル化が一気に進行する変化の時代ではありましたが、それでも私たちは大学の授業を遅滞なく行うことができました。

これほどの歴史的な出来事を目撃していると言っても、学生生活を満足に行えないと思っている皆さんには慰めにはならないでしょう。

私は大学生活4年間のうち、最後の1年間を家族の看病で過ごし、キャンパスに通うことができたのは週に1日ぐらいでした。4年生であまり授業を履修する必要がなかったのは幸いでしたが、今のようにオンラインで授業を取るというオプションはありませんでした。病室で本を読み続けるしかありませんでした。それまで読んだことのなかったルソー、ホッブズ、マルクスなどの古典を、ほとんど意味も分からずページをめくっているだけでしたが、しかし、それをかじることができたのは、その後の糧になりました。

私よりも強者がいます。『地中海』という大著を物したフランスの歴史家フェルナン・ブローデルは、博士論文を書き始めたときに第二次世界大戦が始まり、従軍します。しかし、ドイツの捕虜になってしまい、収容所で5年間を過ごします。その間、資料も手に入らず、記憶だけを頼りに博士論文を下書きしたそうです。それが後に『地中海』として出版されました。

現在のコロナ禍だけでなく、これからの皆さんの人生においても、どうしようもない状況に置かれることがあるでしょう。その状況においてできることを見つけ、未来に備えることが、少しでも前向きに過ごすために必要ではないでしょうか。

政策を考えることは未来を考えることに他なりません。未来を変えたいという思いがなければ政策は考えられません。健康か経済かとよく議論されます。新型コロナウイルスの問題を解決するには、公衆衛生学や経済学だけではとうてい足りません。この問題にどう取り組むか、皆さんが首相や知事や社長や塾長だったらどうするか、そしてこの感染が収束した後、社会をどう立て直すか、未来を構想してください。大学を卒業した後、まさに皆さんはそれを担う立場への一歩を歩み始めることになるはずです。

  1. はじめに
  2. コロナ禍のキャンパス運営の現状と今後の見通しについて、学部長から皆さんにメッセージを直接お送りすることにしました。私が学部長である間は、週に1回程度のペースで(状況の変化があった場合には速やかに)メッセージをお伝えしていきます。

  3. キャンパスの入構と施設利用について
  4. 感染対策のため利用を制限している施設もありますが、メディアセンターも、サブウェイも、事務室も開いています。授業だけは完全オンライン化した状態ですが、研究での入構は可能です。メディアセンターで調べ物が必要な方もいるでしょうし、大学の機材がなければ作業を進められない方もいることでしょう。そのような研究の必要性があればキャンパスに入ることができます。そして、大切なことですが、SFCにおいて、研究とは皆さん一人一人が作るものです。独立自尊の精神に基づいて、キャンパスに来る必要があるのならば、胸を張って入構してください。一方で、持病のある方や不安を感じている方も多くいますので、そのような方への配慮も忘れないでください。

  5. キャンパスでの課外活動について
  6. キャンパスでの課外活動についても、全面不可であると誤解をされている方が多いようですが、必要性が認められれば利用できます。皆さんの課外活動にとって必要性の有無がどのようなものであるのかは皆さんが一番理解しているはずです。それらの多くのにはゴールやマイルストーンがあり、それに向けて全身全霊で活動していることを教職員は理解しています。以下のページから、課外活動が必要な理由を含めて申請していただき、妥当性が認められれば、施設は利用できます。申請の許諾判断は全塾の学生総合センターが行っています。
    SFC課外活動施設利用一覧(2021年5月20日時点)

  7. SFC執行部は何をしているのか
  8. SFCの執行部は、学内の感染状況と首都圏の感染状況、この二つを踏まえて、あらゆる角度から検討を重ね、政策を作っています。詳細をお伝えすることはできませんが、学生の皆さんには、SFC執行部がデータドリブンで判断していることを知っておいていただければと思います。

  9. 今後の見通しについて
  10. この原稿を書いている時点では、政府の専門家組織はピークアウトを認めていませんが、個人的には今週になってから感染者数の増加ペースが鈍くなっているように見えます。今週に開催されたSFCの執行部ミーティングでは、今後に非常事態宣言が解除された場合に備えて、授業をどのような運用形態に戻していくのか、今から準備をしていく必要性があるとの提案がなされました。今後の状況を見据えつつ、慎重に議論と準備を進めていきます。

それでは、また。

あっという間に春学期も後半です。学期がはじまって、最初の数週間は、オンキャンパスの授業でみなさんに会うことができました。ひさしぶりの教室で高揚感を味わったものの、緊急事態宣言の発出に先駆けて、授業をオンラインに移行することが決まりました。ゴールデンウィークを経て、いまだに落ち着かない日が続いています。

他キャンパス・他大学の状況とくらべたり、あるいはまちを歩いたりすると、複雑な気持ちになります。制限されることがたくさんありながら、余所とくらべると、不公平だと感じることもあるでしょう。

ぼくたち「3役」は、それぞれの考え方や物事のすすめ方はちがうものの、なにより、いま直面しているのは人の命にかかわることだという理解のもとで、一連の判断をしています。授業の開講形態やキャンパスをはじめとする施設利用についての方針は、慶應義塾の判断をふまえながら、SFCの特質を考慮して決めることになります。データにもとづいていても、将来を正しく予見できているとはかぎりません。むしろ、先のことはわからないものとして受け入れ、そのなかで決めるしかありません。

おそらく2人の学部長には、ぼく以上にたくさんの質問や意見が寄せられているのではないかと思います。一人ひとりの事情を聞き、一つひとつの事案を熟知すると、いま提示されている「ルール」や「決まりごと」は、ものすごく窮屈に思えることもたしかです。ただ、何も起きなければ、あとから胸をなでおろせばよいだけです。何かが起きてからでは、もう遅い。とにかく、ぼくたちの「キャンパスライフ」を守りたい。そう思っています。

そんななかで、最近、いろいろなことを考えます。たとえば、ぼくたちをとりまく社会状況が絶えず移ろい、「唯一の正解」のない複雑な課題が目の前に現れるとき、どのようなリーダーが求められるのか。いまのような状況下で、人びとは強力なリーダーを求め、強いことばを欲するようになります(ぼく自身は強いことばを発するのは不得手なので、そもそもイマドキのリーダーには向いていないのでしょう)。

強いことばは人びとを束ねて一体感をもたらしますが、ともすれば、ぼくたちは過度にリーダーに依存するようになり、自らが考えることを放棄してしまうかもしれません。それは、自立・自律への志向を失うことにつながります。また、強いことばによって曖昧さや揺らぎを許容できなくなり、分断を生むこともあります。

だからこそ、「3役」が、それぞれちがったことばでメッセージを綴ることに意味があるのでしょう。ときとして、決断が遅れたり、混乱を招いたりすることもありますが、〈多声〉を尊ぶことが大切です。いくつもの〈声〉に耳を傾け、自らも〈声〉を発する。それによって、ぼくたち一人ひとりが自分でよく考え、賢くふるまうようになります。さまざまな情報が、複数の経路やタイミングで提供されることもあるので、もう少しスッキリすべきだと思っています。その状況は少しずつでも改善されると期待しつつ、日に日に更新される情報をきちんとつかまえて、よく読んで行動につなげる。それを基本動作にしましょう。

もうひとつ気がかりなのは、最近、ぼくたちのコミュニケーションがちょっと雑になっているように思えることです。オンラインのコミュニケーションが圧倒的に増え、そのよさを体験的に学んできました。よく指摘されることですが、効率性や利便性を享受するいっぽうで、さまざまな「余白」がそぎ落とされていることもたしかです。「メールに書いてあります」「ウェブを見ておいてください」などと、あちこちで、乾いた事務的なメッセージが増えているように見えます。COVID-19のせいで、ぼくたちの人間性が露わになっているのかもしれません。

でも、そんな理由で、ぼくたちが不親切になってしまうのはなんだかヘンな話です。他者への想像力は、忘れずにいたい。たとえ離れていても、画面越しであっても、自分を成り立たせている誰かが、かならず向こう側にいます。いつも以上に、つまり、いまこそ、コミュニケーションに自覚的に暮らすことが求められているのです。声をかけあうこと、名前を呼び合うことの大切さは、つねに意識していたいと思っています。ギスギス、トゲトゲは避けなければならない。ぼくたちのちょっとした心がけと工夫で、窮屈な気持ちは和らいでいくはずです。