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おかしら日記
2022.07.12

七夕に宇宙を想う|看護医療学部長 武田 祐子

学会の招待講演で、思いがけず宇宙開発の話を伺った。アポロ群の小惑星イトカワからサンプル採集をして2010年に帰還した、あの「はやぶさ」の打ち上げが行われた内之浦宇宙空間観測所の所長を務める宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所宇宙飛翔工学研究系教授の峯杉賢治氏の講演は、ひとつの夢を追い続ける科学者の想いが込められた、聴衆を強く引き付けるものであった。その一部を紹介したい。

学術大会長の同級生であったという小学生の頃の峯杉少年は、宇宙戦艦ヤマトに憧れ、天体望遠鏡で天体観測をするのが趣味だったという。東京大学大学院で航空学専攻博士課程を修了したのちは宇宙科学研究に従事し、失敗も繰り返しながら挑戦を重ねてきている。  

最初に紹介されたのは、内之浦宇宙空間観測所の建設であった。ロケット発射場といえば種子島を思い浮かべるが、その100㎞北方に位置するこの観測所の名前を知る人は限られているようで、私自身もロケット発射=種子島宇宙センターと認識しており、講演では「じゃない方」のロケット発射場と紹介された。種子島宇宙センターでは、液体燃料ロケットで実用衛星の発射を行っているのに対し、内之浦宇宙空間観測所では固体燃料ロケットで科学衛星が打ち上げられていることも初めて知った。

わが国における予算は潤沢とは程遠く、陸の孤島と呼ばれた内之浦の建設では土木作業員の確保もままならず、多くを地元婦人会の支えにより開設され、「最も地元に愛される発射場」と称されているという。土地柄、朝早く買い付けた魚を発射実験の横で天日干しにするというシュールなつまみと、地元の芋焼酎で「だれやめ(「だれ」:疲れ、「やめ」:止める⇒1日の疲れをとる)」することで活力を養っているようである。

そこで行われた固体燃料ロケットの開発は、当時の発射を記録した貴重な映像と共に紹介され、過去の映像にもかかわらずドキドキと成功を祈らずにはいられなかった。NASAの国の威信をかけた壮大なプロジェクトとは異なり「予算がないなら知恵を出せ!」という座右の銘に、科学者としての気概を感じた。
講演は、ロケットの地上燃焼試験や本番でのロケット搭載カメラからのロケット切り離しの迫力ある映像、「はやぶさ2」のサンプラ起動時の興味深い瞬間など、会場から思わず拍手が出るような臨場感あふれるものであった。

また、科学衛星の名前の付け方や性能計算書の表紙についての裏話も楽しいものであった。科学衛星の名前は投票で選ばれるが、「はやぶさ」は実は2位であったことや、「はるか」という電波天文衛星はその形状と、難しい技術を『絶対やりきる』とプロジェクトマネージャーが言い切ったことからユーモア部門では「大風呂敷」となったことも紹介された。性能計算書の表紙は、たばこやお酒のラベルのパロディとすることが伝統となっており、「はやぶさ」の表紙は「虎の児」という日本酒のラベルを模したものであったが、電話番号記載箇所には小惑星イトカワの名前、注意書きには「回収は4年経ってから開栓には十分注意してください。」といった凝った記載になっている。笑いやユーモアは開発にとっての必須の潤滑油、という言葉がとても印象的であり、宇宙開発への熱意と愛を感じさせるものであった。持ち帰られたイトカワとリュウグウからのサンプル分析が今も続けられているが、小惑星は太陽系の化石であり、太陽系、地球、生物のルーツを探る鍵となり、人類はどこからきてどこに行くのか?の追究であることを改めて知ることができた。

学術集会のメインテーマは「遺伝性腫瘍のルネッサンス―追い続ける夢―」であり、招待講演として実にふさわしい内容であり、企画された田中屋宏爾会長に感謝したい。
原稿の締め切りが7月7日(七夕)ということで、見上げた夜空に月が輝いていたものの、星は雲に隠れて見えなかったが、久しぶりに宇宙に想いを馳せるひと時となった。

参考:第28回日本遺伝性腫瘍学会学術集会(2022年6月/岡山)抄録集

武田 祐子 看護医療学部長/教授 教員プロフィール