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おかしら日記
2021.05.25

はじめての対面型の授業|総合政策学部長補佐/教授 加茂 具樹

「発言する機会をくださりありがとうございます」。

今学期の第1回目の授業が終わった後、ある学生がこう言いながら、和やかに教壇に向かって歩いてきた。授業中、教員がマイクを向けると学生は下を向く。これは、太陽は東から昇って西に沈む、と同じ自然の摂理だ。だから私は「ずいぶんと不思議なことをいうなあ」(ごめんなさい)と思いつつ、「久しぶりに対面で話をすることができて嬉しいよ」と笑って答えた。本当にそう思った。

彼は、つづけてこう言った。「はじめての対面型の授業でした。この春2年生になりました」。うかつにも、私は、彼のこの言葉を予想していなかった。天を仰いだ。私はこの日のことを忘れることはない。

授業をするということ。その意義をあらためて考えた。 

この授業は比較体制論だった。この2年、私はこの授業で独裁政治を取り上げてきた。実は、人類は独裁的な政治のもとで生きてきた時間の方が圧倒的に長い。そして、いまでも世界の過半数の人々は独裁政治の下で生活している。日本を飛び出して世界で活動すると、ともに仕事をする仲間が、自分と同じ民主的な政治の下で生活してきたわけではない、ということに気付く。

これが世界の現実だ。民主的な政治の下でずっと生活してきた人間は、独裁政治の下での生活を想像できるのだろうか。体験していないことを理解することは難しい。世界には私たちが知っているものとは全く異なる政治があること。私たちが生活している社会は例外的な存在であること。今の環境を維持することはとても大切だが、とても難しい、ということ。ちょっと大袈裟かもしれないが、こんなことを考えながら、この授業を開講してきた。

最近の比較政治学の教科書には必ず書かれていることだが、これまで政治学の多くは、民主的な政治体制を対象にしていた。だから独裁国家に関する研究は比較的に遅れている。この10年、独裁政治研究が躍動感の溢れる研究分野であるのは、そうした学問的な空白を埋めようと、世界中の研究者が競争しているからでもある。

独裁国家の仕組みについての研究は、広大な議論するべき余地を残している。とくに持続性のある独裁国家は重要な研究課題となっている。なぜ持続するのか。その強靱性はどこから来るのか。これが重要な問いだ。考えてみれば当たり前だが、独裁者は、一人で国家を支配することはできない。彼ら彼女らは、社会の様々なグループとの利害調整をするための政治制度を整え、あるときは味方に引き入れ、あるときは排除して、体制を維持してきた。独裁者は全てを自身が思うままに独裁することはできない。

しかし、いまから30年前、私が学部生だったころ、比較政治学において「独裁体制はなぜ強靱なのか」という問いは、影も形もなかった。民主的な体制は人類社会のデフォルトの政治体制だと捉えられていたから、独裁体制はある一定の条件を満たせば民主化の道を歩みはじめると考えられていた。権威主義を研究している人たちの中心的な問いは、「いつ、どのように民主化するのか」であった。私もその一人だった。

それからの30年で、権威主義体制研究の中心的な問いは大きく変わった。1980年代末から1990年代初にかけての東欧や旧ソ連、そしてアジアにおける政治の変化は、民主化の波が世界をのみ込むだろうという期待を生んだ。ところが権威主義体制は変化に適応し頑強に生き残っている。問いは「いつ、どのように民主化するのか」から、「なぜ体制は持続するのか」へと変化した。世界政治の大きな変革は、研究の問いすら変えてしまった。

これからの30年を考える。私たちは、これまでの30年間がそうであったように、間違いなく大きな変革に直面するだろう。変化の行き先を見定めることは容易ではないが、変化を想定して備えておくことはできる。

4月末から、再びオンラインの授業に戻った。無念としか言いようがない。しかし、それを嘆くだけではだめだ。コロナの向こう側にある未来に備える。これから世界で活躍する学生のために、(残念ながら)世界政治のスタンダートである独裁政治への理解を深めるよう促す。重厚な先行研究をしっかりと読み込み、いずれ再び可能になるであろう、フィールド調査のために頭の体操をしておく。

こうした意識を履修者と共有しながら私は授業をする。これが「発言する機会をくださりありがとうございます」という学生の声に応えることなのだと思う。

加茂 具樹 総合政策学部長補佐/教授 プロフィール