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おかしら日記
2020.03.03

政策を考える。想像する力。|総合政策学部長補佐/教授 加茂 具樹

いま、日本社会は新型コロナウィルスという新しい感染症と対峙している。グローバル化の進展が、ウィルスに制御不可能なほどの拡散する機会をあたえてしまった結果でもあり、あらゆる組織と個人は、この脅威に対して果断で慎重な政策決定が求められている。

しかし、いま社会が向き合っている脅威は、新しいウィルスの拡散によって生まれたわけではなく、私たち自身が生み出した脅威ともいえる。あらゆる歴史書が繰り返し描いてきたように、人々は目に見えない敵に脅かされたとき、あたかも辺り一面が敵ばかりで、自分は包囲されているかのように感じてしまう。こうした危機意識は人々を恐慌に陥れ、政策決定者は判断を誤り、そして社会は荒れてゆく。

いま、あらためて日常の生活をふり返ると、私たちの社会は「決定」という薄い皮のようなものが積み重なってかたちづくられているように思える。社会を守るために必要なことは、理性的で合理的な思考と決定である。これを機会に、政策とは何か、政策決定とは何かを考えてみたい。

あらゆる政策決定者は最善を尽くしている。しかし、情況が刻々と変化するが故に、十分な情報を得ることができていないにもかかわらず決断を迫られることは少なくない。公開された政府文書や政治指導者の回顧録、ジャーナリストによる調査報道、研究者による政策研究は、国家の政策決定者がおかれている過酷な現実を描いている。

完全な情報のもとで、国家の政策が決定されることはないと考えた方が良い。独裁国家の場合は、先知先覚の才に恵まれた政策決定者の無謬性が喧伝されるが、もちろん、そんなことは夢のなかの物語にすぎない。

この現実を知っている政策決定者は「(自分は)謙虚でなければいけない」という言葉を好む。しかし、それを真に受けてはいけない。謙虚であったとしても政府は決定を誤る。自分を守るために、政府に緊張感をもって向き合う必要がある。だから私たちは選挙にゆき、政策を学ぶ。

政策とはなにか。よりよい社会をつくりあげてゆくための指針であり、計画と具体的な方策である。政策を考えることは未来を考えることだ、という比喩は的を射ている。

では政策を考えるとはなにか。政策は理想と現実をつなげるための指針、計画、方法だ、というのであれば、それは、現実を理想に接近させるためにつくった政策をどの様に動かすのか、を考えることだといえよう。倫理と規範を踏まえ、現場を理解して、そして科学的根拠にもとづいて政策をつくる。これは全ての起点であるが、その先にある政策を動かすことは重要な課題だ。

では政策を動かすとはなにか。政策決定者は、自分一人で政策を動かすことはできない。それが政府の政策であれば、たくさん政府部門に政策の意義を説明し、彼らの賛同を得ながら現実を理想に接近させるために政策を動かす。同時に社会にもその意義を説明し、支持を得なければ、それは絵に描いた餅になる。政策の意義を伝えて説得するのはことばだ。SFCの教育体系において、言語教育が重要な位置を占めているのは、そのためである。

私たちは、それぞれの人生をつうじて、自身の力を最大限に発揮できる場において、政策を考える機会を得る。総合政策学部に在籍する学生だけでなくSFCに所属する学生が、その教育と研究をつうじて学ぶことは、よりよい未来を設計するために政策を考える力である。それは、どの様に政策をつくり、どの様に政策を動かし、どの様に政策を伝えるのかを想像する力なのである。この「想像する力」を武器にして人生を切り拓く。

新型コロナウィルスという新しい感染症は、大学学部卒業式そして大学院学位授与式という場を2019年度の卒業生から奪ってしまった。この門出の機会が失われたことは残念でならない。だが慶應義塾大学は学部卒業式と大学院学位授与式にあわせて卒業25年塾員招待会を開催している。その時に、25年前のこの日を思い返すことにして欲しい。

しかし、今年卒業25周年を迎えた私は、この新型コロナウイルスによって、同期と25年前のこの日を思い返す機会を失ってしまった。だから25年後に塾員招待会が必ず開催されると信じてはいけない。確実に進歩し続ける医学がありながらも、将来、一層のグローバル化の深化が、いまとは別のかたちで新しいウィルス感染症拡散の機会を与えてしまうかもしれない。この挑戦に打ち勝つために私たちは、政策を考える力、つまりどの様に政策をつくり、どの様に政策を動かし、どの様に政策を伝えるのかを想像する力を磨き上げるために、引き続き努めなければならない。

加茂 具樹 総合政策学部長補佐/教授 教員プロフィール